今回は固定観念の話をします。固定観念は誰しもが持つもので、きつすぎると問題になります。私の場合、「イヤなことから逃げている人は世の中で通用しない」という固定観念がありました。
だからプロレスでも敢えて勝ち目のないような相手に立ち向かう選手に感情移入して試合を見ていました。わかりやすい例でいうと、全盛期のアンドレ・ザ・ジャイアントにシングルで立ち向かった藤波辰爾さんみたいな感じです。
このカードは第2回IWGP公式リーグ戦の広島大会で組まれ、幸運にも私は生で見ることができました。全盛期のアンドレというのは、頭もまわり、身体も身軽でした。ヘビー級転向したとはいえ、元々がジュニアヘビー出身の藤波さんとでは何もかもが違いすぎました。
しかし、アンドレという選手は自分が有利だからこそ一方的な試合を作りませんでした。必ず相手のよいところを引き出してその上で勝っていました。藤波さんとの試合はそのわかりやすさも手伝ってどの試合も見応えがありましたし、後年藤波さんのヘビー級ロードで合間見えたベイダーとの試合では、アンドレとの対戦経験が生きたのではないか、と私は想像しています。
プロレスに入るまでは殴り合いすらしたことがなかったという藤波さんが自分よりデカイ人間に対して全くイヤな感じがしなかったとは、私にはどうしても思えないのです。むしろ怖くて当たり前でしょう。
そこを立ち向かうからこそ、藤波さんは未だにレジェンドとして尊敬を集めていられるのです。
とまあ、このように、実は固定観念って持っていて悪いものではないんです。むしろ困難に立ち向かう時には必要不可欠ともいえるでしょう。
ですが、なんでもキツすぎるとかえって苦しくなります。仮に大きな困難が立ちふさがったにしても、それをいちいち真正面から受け止めていては身が持ちません。時にはかわし、時には払い、緩急つけてコントロールすることも大切なことです。
藤波対アンドレ戦では藤波さんがジュニア出身らしいスピードでアンドレをかく乱させる場面が多々見られました。これも真正面から挑んではかなわないことを理解した上で、自身の持ち味を活かした戦法をとっていました。
そしてロープに腕が絡まったアンドレに対して初めて真正面から攻撃を仕掛けていくわけです。これはスタン・ハンセンのような巨漢でない限り、大概のレスラーがやっていた攻撃パターンでした。
しかし、それはアンドレの計算の内で、実はまだ余力を残していた大巨人が最後はだいたい勝利をおさめていました。このように全盛期のアンドレに勝つということは並大抵ではできないことでした。しかし、だからこそ困難に立ち向かう価値があることを、攻める藤波さんも、受けて立つアンドレも尊重して理解していた点が重要なんです。
つまり固定観念というのは持っていても、決して悪いものではないということですね。「イヤなことから逃げている」だけでもそうですが、固定観念自体をなくしたり否定したりしても決して問題解決には繋がらないと私は考えています。
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