プロレス的発想の転換のすすめ(74) 地域密着とプロレス
プロレス団体の地域密着化
今回は地域密着とプロレスのお話です。
プロレス観戦をし始めた約40年前と、現在の決定的な違いの一つにプロレス団体の地域密着化があげられます。
おかげで都心部にいかなくても、プロレス観戦数は昔とそう変わりません。
興行のバッティング問題
しかし、都心部で顕著だった興行のバッティング問題が地方でも発生するようになっています。
まあ、でも都会でしか発生しないと思われていた興行のバッティング問題を地方にいながら体感できるとは、夢にも思いませんでしたからね。
こんな贅沢な悩みができるよい時代に生きられる幸せったらないですね。
選手へは尊敬の念を
さすがに昔とは違い長いことプロレス会場に通うとプロレスファンだけでなく選手とも知り合いにはなりますが、基本ファンと選手とのスタンスは崩さないよう気をつけてはいます。
まあ崩れることもたくさんありますけどね。
しかし冗談ごとでもどこかに選手へは尊敬の念を持っていたいですね。
残った人間関係は良好
だからそれに値しない選手とは自然と疎遠になります。
これも不思議なもので、選んでそうしているわけでもないのに、気が付いたらそうなっているものなのです。
そうして残っていった人間関係はこれだけどろどろしたプロレス界にあって非常に良好です。これも面白いものですよね。
リングに上がったこともないものが
更に昔と違うのは自分が自分の意見をズバズバ言い切っていけてることでもあります。
これも往年であれば考え難い事実でした。
長い時代、素人が口を挟もうものなら「リングに上がったことのないものに何がわかる」という反論が返ってくるのがプロレス界でした。
ネットで意見が可視化された
要するに批評や批判はあからさまに受け付けない、自分たちをもちあげてくれる人間だけが味方だという意識がプロレスラーには強くありました。
それがネット化でお客さんの意見が可視化されると、一転してそうした声を重用するようになっていきました。
プロレス村の矛盾が正常に
第三者の目を欲していながら、片方では反論を受け付けないというプロレス村の矛盾が少しずつ正常な状態になっていったのかもしれません。
振り返ってみると、そんな40年間だったように私は思っています。