プロレス的発想の転換のすすめ(97) 年月の経過とプロレス
こういう未来は
今回は年月の経過とプロレスのお話です。
正直、自分が50過ぎて独身でプロレスを観続けている未来は想像もしていませんでした。
プロレスファンとして
変わらないことはある意味誇れることでもありますが、あまりに変わらなさすぎるのもどうなのかなあ、と思ったりもします。
さて、何年か前に東京在住のプロレスファンの友人から「未だにプロレスファンとしてプロレスに関わり続けているのは、ハラダさんくらいだよね」と言われたことがあります。
つながりができると
大概長年ファンを続けていると選手や関係者とつながりができ、そのまま業界関係者としてプロレスを提供する側に回ることが少なくありません。
特に都心部にいると、ファンとレスラー、ファンと関係者の垣根も、悪い言い方をするとズブズブになることも多いでしょう。
純粋に関わることが
しかし、私の場合山口県の片田舎住まいで、地域密着型団体がはびこるまではプロレス僻地にいたせいか、甘美なお誘いもなく、今日に至っています。
でもプロレスファンとして、純粋にプロレスに関わることができるのはある意味最高の贅沢ですね。
激変した関係性
振り返ってみると、この30年でプロレスラーとファンの関係性も激変したように思います。
SNSによる交流なんて、私の学生時代には想像もしていませんでしたからね。
やる側には
また、選手の小型化もかつてからは、想像もつかないくらいに進みました。
私は元々「やる側」には関心がなくて、「見る側」に特化したスタンスを一貫してとってきました。
憧れる選手は
従ってプロレスラーになるという選択肢も、プロレスマスコミになるという選択肢もハナから頭にありませんでした。
基本私の憧れる選手は地味だけど仕事ができる人が多い傾向にありますし、自分から目立ちたいとか認めらたいとかいう気持ちはほとんどありません。
見ることにこだわった
不思議なことに人に技をかけた事すらほとんどなかったりもします。
ここまで完全に自分が見ることにこだわったのは、正直なぜなんだろうと思うくらい、自分でやってみよう、自分が主役になろうとはつゆほども思わなかったのです。
基本がぶれなければ
ですからたまに自分がスポットライトを浴びるとすごく場違いな感じがして居心地が悪い思いをすることもたくさんありました。
まあ、でも日陰にいても日向にいても私は私なんで、基本がぶれなければそれでいいと思います。
地域密着化
今更勘違いする要素はないですし、自分のありようがそこそこみえる年齢になりましたから、まわりの評価で自分の価値を左右されることも少なくなりました。
プロレス観戦をし始めた頃と現在の決定的な違いの一つにプロレス団体の地域密着化があげられます。
興業のバッティング
おかげで都心部にいかなくても、プロレス観戦数は昔とそう変わりません。
しかし、都心部で顕著だった興行のバッティング問題が地方でも発生するようになっています。
ぜいたくな悩み
でも都会でしか発生しないと思われていた興行のバッティング問題を地方にいながら体感できるとは、夢にも思いませんでしたからね。
こんな贅沢な悩みができるよい時代に生きられる幸せったらないですね。
スタンスは崩さない
さすがに昔とは違い長いことプロレス会場に通うとプロレスファンだけでなく、選手とも知り合いにはなりますが、基本ファンと選手とのスタンスは崩さないよう気をつけてはいます。
まあ崩れることもたくさんありますけどね。
尊敬の念は
冗談ごとでもどこかに選手へは尊敬の念は持っていたいと思っています。
だからそれに値しない選手とは自然と疎遠になります。
残った人間関係は
これも不思議なもので、選んでそうしているわけでもないのに、気が付いたらそうなっているものなのです。
そうして残っていった人間関係はこれだけどろどろしたプロレス界にあって非常に良好です。これも面白いものですよね。
素人が
更に昔と違うのは自分が自分の意見をズバズバ言い切っていけてることでもあります。
これも往年であれば考え難い事実でした。長い時代、素人が口を挟もうものなら「リングに上がったことのないものに何がわかる」という反論が返ってくるのが、昔のプロレス界でした。
意見が可視化された
要するに批評や批判はあからさまに受け付けない、自分たちをもちあげてくれる人間だけが味方だという意識がプロレスラーには強くありました。
それがネット化でお客さんの意見が可視化されると、一転してそうした声を重用するようになっていきました。
第三者の目を欲していながら、片方では反論を受け付けないというプロレス村の矛盾が少しずつ正常な状態になっていった、そんな30年間だったように私は思っています。