プロレス的発想の転換のすすめ(7) 人間のやることには心が絡んでいる
プロレスの心理分析
今回はプロレスラーから読み取る心理分析のお話です。
プロレスは心理戦と呼べるシーンがたびたび登場します。
またブルーザーブロディ選手はプロレスをチェスにたとえてもいます。
人間の心が絡む
そもそも人間のやることには心が絡んでこないことの方が少ないでしょう。
誰しも心をもって生まれているからです。ですからこじつけ抜きで、人間のやることには心が絡んでいます。
プロレスはその動きがわかりやすいとも言えます。
一線を越えても・・・
たとえば、仕掛けた技が失敗したとしてそこであたふたするのではなく、そこから選手がどう立て直して試合を成立させるかが肝になってきます。
とあるプロ選手から実際聞いた話ですが、「総合格闘技だとプレイヤーの安全性を第一に考えるため、命に関わるケガでなくても、レフェリーがとめてくれる。しかしプロレスでは一線をこえても試合がとまることはない」という話を聞いてなるほど、と思ったことがあります。
受け身を取り損ねても
私がみたとある試合で、受け身を取り損ねた選手が明らかに失神していたのですが、そのまま試合は続きましたからね。
また、有名どころでは1990年6月12日、新日本プロレスの福岡大会にてタッグマッチで対戦した馳浩が後藤達俊のバックドロップを空中で体を浴びせて切り返そうとして失敗、側頭部からマットに叩きつけられました。
奇跡的に復活
試合は普通に終わったのですが、試合後シャワーを浴び、馳がその後の試合のセコンドにつこうとしたところで昏倒して倒れたのです。
一時的に心肺停止状態にまで陥り、生死の境をさまよったほどです。
しかし馳は奇跡的に回復し、その後に試合にも復帰します。
トラウマで
ちなみに対戦相手の後藤は馳が欠場している間、バックドロップが使えなかったそうです。
自粛でも会社命令でもなく、トラウマで使えなくなっていたそうです。
復帰後のトラウマ払拭
やがて馳が復帰し、再び対戦した時、後藤はトラウマを払拭するためにあえて馳・本人にバックドロップを放ちました。
馳も自身の受身のミスで起きた事故だと分かっていますし、復帰後に無事にバックドロップを受けられたというのは馳にとっても大事なことだったのです。
事故が起きないように
プロレスに大技があるのは仕方がないことです。
だけど、事故がおきないようにレスラーは鍛錬し、試合展開も配慮する必要はあります。
仮にもプロなんですから。ですから、脳を揺らすような攻撃や、頭から落とす技は馳も後藤も否定していますね。
反射的に立て直す
しかし、「間違えました。最初からやりなおします」ということはプロレスでは許されません。
故意ではないにしろ、 迷いはもちろんあるとは思いますが、そこを反射的に立て直していくのもプロレスの妙技です。
生死を乗り越える
また、馳のように自分の技量不足で技を受け損ねた場合、後々プロレスを続けていきたいならば、敢えて復帰後に同じ技を受ける勇気も必要になります。
正直生死を彷徨った技を2度くらう勇気はなかなか持てないですし、馳にバックドロップを放った後藤にも相当な覚悟があったとは思いますが、それを乗り越えた馳と後藤はプロレスラーとして立派だったと私は思います。
四方に目がある
舞台でもコンサートでもそうですが、自身のパフォーマンスを四方から絶えず見られるということはそうありません。
しかしプロレスは多くの場合四方にお客さんの目があります。常にお客の目を意識した試合が選手には求められます。
技術と心理状態
そこで選手も考えて動くようになりますが、考えてばかりでは瞬時のことには対応できません。
瞬間瞬間で変わる状況に対応する技術と心理状態が求められるのです。
よりよいパフォーマンスをみせるためにはよりよい心理状態でないといけません。
対応力が要求される
特にプロレスの場その対応力に関していうとほかのどのスポーツよりその部分を要求されることが多いのです。
ですから独りよがりでも駄目だし、お客さんの目を気にしすぎていてもだめなのです。
自身をコントロール
ほかのスポーツでは通常その部分をメンタルトレーナーが担当することが多いのですが、プロレスでは多くの場合心理を学んだわけでもない選手が自身をコントロールしています。
ここが非常に興味深いところなのです。
断定はしないこと
ただひとつだけいっておくと、あなたが思い浮かべるのはなんでも勝手なんですが、断定はしないことです。
正解がないほうがおもしろいので「~かもしれない」でとどめておくとより深い考察ができるようになるかもしれませんね。
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