プロレス的発想の転換のすすめ(32) 競争しない事とプロレス
今回は「競争しない」というお話です。生き馬の目をぬく世の中では、競争は当たり前で、これがないとプロレスの魅力はある意味なくなってしまいます。しかしそれはあくまでリング内や、大会の質の向上などポジティヴな事情の上で行われるべきでしょう。
そこで真反対だけどシェアの概念が必要になってきます。シェアとは自分のみの繁栄を追求するのではなく、分け合っていくことです。そこから相互の価値観を高め、業界全体を更に潤うものにしていくことを目指します。
しかし、個人商店が多く、コミッションもないプロレス界は、そうでなくても「俺が、俺が」の世界です。実際競争するのはリングの中だけでいいのですが、だいたいの場合、経営面での弊害やプロレスファンにとっても好ましくない出来事がおきています。
昨今はあまりに団体が多すぎるせいで、地方大会でも興行戦争が普通になりました。東京近郊なら一回見逃してもまたいくらでもチャンスはありますが、地方はそうはいきません。私にはジャパン対全日の対抗戦も結局一期一会になった苦い思い出もありますが、あの時代から地方の切実な事情は変わってないように思います。
都会ならお客を取り合うにしても、人口が多いですから、さほど影響はありません。しかしたとえば福岡県ならば、近々だと2017年1月には、博多スターレーンと、北九州市の北九州芸術劇場で大会がバッティングしました。まあ、片方は、デスマッチで片方は普通のプロレスという具合に、色合いは違うのですが、特定団体だけでなく幅広くプロレスをみる層にとって、こういうバッティングはあまり歓迎したくないのです。
せっかくのチャンスならなるべくたくさんの大会、たくさんの団体の試合を見たくても、取捨選択しなければならない理不尽さ。こちらも暇ではないので、観戦のためにはいろいろ調整した上で、観戦を楽しみにしているのです。会場の都合でなかなか思うようにならないという理由もよくわかります。しかしそれでもこれではせっかくプロレスに興味を持った人もやがて離れていくでしょう。
興行スケジュールに関してはもう随分前から言われていますが、一向に改善されません。競争はあくまでリングの中や試合内容ですべきこと。それ以外はファンに普段を強いるだけなのです。これだけ団体が多くなるとみる方も取捨選択をしないとお金が持ちません。全てをプロレスに捧げているといってもいい私でさえ、時にはそのプロレス観戦を泣く泣く諦めていることだってあるのです。そうまでして足を運んでいることを、重いとか煩わしいとか思うかもしれないですけど、その思いがなかったら誰もプロレスをみてくれないはずです。会場の熱の中心には間違いなく我々の熱も混じっているはずだからです。
シェアの精神ていうと、大日本が博多スターレーンのシェアレンタルで他団体とのコラボ興行を成功させているし、できない相談ではないとは思うのですけど…。