プロレス的発想の転換のすすめ(18) 人の話を聴く
話を聴いてばかりでは
今回は人の話を聴くというお話です。
心理カウンセラーに関する資格をもっている関係上、よく「ずっと人の話ばかり聴いていてしんどくならないんですか?」とは尋ねられます。
寄り添えているかどうか
確かにある程度テクニックを身につければ、とりあえず自分だけはきつくなくなります。
でもここには一つ問題があります。それは相手に寄り添えているかどうか?ということです。
テクニックに優れていても
実は話を聴くというのはここが非常に重要なポイントになるわけで、これができていないと、いくらテクニックに優れていても、人の話を聴くことはできません。
私の場合、最初は頭だけで理解した気になっていたので、聴く気だけは満々で、「聴く練習」をしていました。
主婦にはなれない
しかし、ある時練習相手の女性から「あなた、主婦の気持ちわからないでしょう?」といわれて「ハッ!」としたわけです。
確かに私は男性ですし、家事一般はできますが、なれてもせいぜい「主夫」です。主婦にはなれません。
リングに上がったこともないのに
でもこの論理でいうとプロレスラーから「リングに上がったこともないやつがプロレスについて語るな!」と言われているのと同じなんです。
しかし、これは暴論ですね。
推理作家が殺人事件を描くために殺人しないといけないと主張しているのと同じくらいむちゃくちゃな話です。
観客も寄り添う
ただし、やはりファンの側もプロレスやプロレスラーに寄り添って観る姿勢も必要でしょう。
個人的には対戦相手が場外に落ちた時、ジュニアだけでなくヘビーの選手にまで無責任に「飛べ!」という掛け声がかかるのは正直好きにはなれません。
掛け声に応えて飛んでしまう選手もあまり感心しません。
ヘビー級が跳ぶと
なぜなら空中戦はジュニアの花形であり、逆にパワーと迫力はヘビー級の花形です。
ジュニアのパワー対決はまあよしとしても、ヘビー級がポンポン飛んでしまうと、試合そのものに重厚感が乏しくなります。
プロレスとは別な何か
確かに巨体が空を飛ぶ絵というのはインパクトがありますが、だからといって誰かれもが空中戦で勝負してしまうと、それはもうプロレスとは別な何かになっていくような気が、私にはしてならないのです。
ヘビー級にはヘビー級にしかない特性があります。それを考えて試合を作っていってほしいんですよね。
練習は嘘をつかない
話はそれましたが、話を聴く練習はそれなりにしていたつもりでいたため、この問題とはかなり真剣に向き合いました。
そしてたどり着いた結論は「練習は嘘をつかない」と言うものでした。
やり方をありかたに
要するに当時の自分は練習量も質も「まだまだ」だったというわけです。
そして、今では傾聴に関してはやり方を常人以上に極め抜いた結果、あり方に変わっていったと言えるかな、と思っています。
ひとりの人間として
自分の特性を生かしてなれないものになるのではなく、あくまでひとりの人間として寄り添うことは今でも心がけている部分です。
あり方の部分で言うと最初から聴く姿勢のできている素晴らしい方も多々いらっしゃいます。
磨いて深めれば
それはそれで、ご自分のよいところを更に磨いて深めていけばより素晴らしい傾聴ができると私は思います。
幸い聴いていて「主婦の気持ちがわからないでしょう」といわれたのはこの一度きりです。
練習は嘘をつかない
まさに「練習は嘘をつかない」と言うことなんですね。
これについてはプロレスも傾聴も同じなのです。