プロレス的発想の転換のすすめ(15) 非日常の大切さ
プロレスで元気に
今回は「非日常の大切さ」というお話をします。
私はプロレスからたくさんの元気を分けてもらい、今日に至っています。
やっぱプロレスを見てると元気になれるんですね。
元気の押し売りは
とはいえ、見たくない方にまで元気の押し売りをすることはいたしません。
プロレスというのは時にこちらの期待を大きく裏切る展開になることがあります。
いわゆるハッピーエンドばかりではないという覚悟を観る側ももたないといけません。
ハッピーエンドのはじまり
バッドエンドだけど不思議とハッピーな感じ方をする大会も存在するからです。
例えば悪の軍団がリング上を占拠して終わるというのは、ありがちですけど、これも見方を変えれば、ハッピーエンドのはじまりという捉え方をすることもできます。
元気があれば?
現実が目を背けたいことばかりだと、人はだんだん病んでいきます。
私もそうでした。大好きなプロレスすら見に行く気力もなかった時期があったので、この時分に「元気があればなんでもできる」と言われた日にゃそりゃ不快に感じたことでしょう。
現実から目をそらすことも
しかし非日常の重要性はこういう時だからこそ痛感します。
日常と現実から時には目をそらすことも必要なんですね。
抱えきれない現実を直視し続けることは、こころの健康を考えるうえで必ずしも得策とはいいがたいのです。
現実逃避してもいい
極端なことをいえば、「現実逃避したっていいじゃない」ということなんです。
一時的に現実逃避ができると、また現実と向き合う力がでてきます。
これを繰り返すことで人は徐々に今起こっていることを受け入れて消えるようになっていくのです。
非現実のバッドエンドは
しかしそれにはものすごく時間がかかるのです。
そんな中で、非現実のバッドエンドは一見すると受け入れがたいかもしれません。
バッドエンドは連鎖する
しかし、現実のバッドエンドはハッピーエンドのはじまりとは限りません。
バッドエンドは連鎖する場合もあります。そんな現実には立ち向かえないけど、バッドエンドに慣れていくには、非現実のバッドエンドで耐性を作るのも手かもしれません。
危機的状況になると
ですが、危機的状況になると、非日常を探す事すら困難になります。
スポーツに限っても広い場所を必要とする競技は、災害時は避難場所になったりもしますし、施設が被災した場合使うことすらできなくなります。
慰問向きなプロレス
そこへいくとプロレスの場合、リングひとつで・・・いやどうかするとマット一枚ひいたうえで試合を見せることができます。
あまり場所も問いません。実に慰問向きであり、かつ高度なエンターテインメントです。
被災地キャラバン
東日本大震災の時もそうでした。初期はマット一枚ででかけていき、おちついたころにはリングを設営して試合を提供する団体もありました。
ご紹介しているのは2011年7月に被災地キャラバンとして、開催されたアイスリボンの映像です。もと全日本プロレスで仙台在住の菊池毅選手や、この映像にはないですが、一関出身のFREEDAMS、佐々木貴選手も参加しています。
選手が被災することも
一番身近なところに非日常を届けられるという点ではかなりプロレスは特殊でもあります。
でもその特殊性ゆえにフットワークを軽くできるのですが、また選手も巡業先で被災することも珍しくありません。
身一つで働く姿
熊本の地震ではたまたま大会を開く予定だったゼロワンや大花火に参戦する選手たちが力仕事を手伝うなどして活躍しました。
大会そのものはさすがに中止になったのですが、こうして身一つでいかつい男たちが働く姿には、何かしら感じるものがあると思います。
今すぐ元気にならなくていい
その姿だけでもしかしたら救われた気になった人もいるかもしれません。
いますぐ元気になる必要はないのですが、少しずつもとに戻るため非日常に接していくのは悪いことではないのです。