プロレス的発想の転換のすすめ(10) 初心者から学ぶ
自分の価値観を絶対化
今回は初心者の方から学ぶというテーマでお話しします。
どんな世界でも得てして歪んだ形でベテランになると、自分の価値観を絶対化して他者の価値観を貶めることが少なからずあります。
耳年増になる弊害
一見さんお断りとか、にわか呼ばわりして初心者をさげすんだりする傾向のことですね。
ファンとして一番危惧すべきは、キャリアを重ねてしまう弊害として、変に裏事情ばかり詳しい耳年増になったりすることなんですね。
裸の王様は多い
知識だけ肥大した頭でっかちなマニアというのはどんな世界にも大概います。
そこに気づきがあり、自己を省みることがあれば、自分が裸の王様になる確率を減らすことができますが、実際絵に描いたような裸の王様は世の中にたくさんいるわけです。
いかなる正論も
ただし、そういうタイプの方は往々にして、第三者からのアドバイスを悪口としか受け取りかねない可能性があります。
そうなると、どれだけ金言をちりばめてもその人の中で腑に落ちない限りは、いかなる正論も意味をなしません。
プロレスに上も下もない
といいながらどうしても紹介したい名言があるので、今から書きます。
ジャンボ鶴田さんというと墓碑銘にもある「人生はチャレンジだ」という言葉や「全日本プロレスに就職します」という言葉が有名ですが、「プロレスに上も下もないんだよ。人生はみな違う。プロレスも同じだ。」という名言も残しています。
実に鶴田さんらしい名言だと思いますね。
プロレスファンにも
プロレスに上も下もないんだったら、プロレスファンだって上も下もないんですよ。
だから業界に長くいるだけとか、レスラーと知り合いだからとかいって、新しいファンに横柄な態度をとったり、やたら威張るファンは鶴田さんのこの言葉の重みを永遠に理解はできないでしょう。
ファン自体が偉くはない
ファン自体が決してえらいわけではないのです。
確かにファンあってのプロレスであることは事実です。
でも体を傷つけ、血を流し、痛みに耐えるレスラーがいてこそプロレスは成り立ちます。
お互いに敬意がないと
確かに上も下もないかもしれない。でもお互いに敬意がないとプロレスって面白くはならないんですよね。
幸か不幸か今も交流がある友人諸氏は皆、選手と近しい立ち位置になってもファンという目線を決してなくしていないし、初心者をバカにすることもないので、そういう意味ではありがたい話ではあります。
大きく前進できた
彼らがチャレンジしていく中で、進んでいく姿に、私も気づかされ背中を押されしてきたことが何度もありました。
気づくことで大きく前進できるいうことは決して一人ではできることではありません。
腑に落ちる
その変化を望んだのはあなたです。でもそのきっかけをくれるのは友人だったり、見知らぬファンだったり、先輩だったり、いろんな方がいてこそなんですよね。
「気がつけば変わる」それは言い換えると「腑に落ちる」という部分ですね。
ここがキモなんで、これがないのに、アドバイスだけしても徒労に終わることの方が間違いなく多いわけです。
気付くのを待つ
こういう場合にとるべき行動は一つだけです。「相手が気づくのをひたすら待つ」!これだけですね。
もし、相手が変わらないことに自分がイライラしているのだとしたら、それは相手の問題ではなく、イライラという反応をしているあなた自身の問題である可能性が高いですね。
マニアが見落としがちな
もしそうならば、それが何なのかを探る方が先決ですね。
マニアの世界は「一見様お断り」な雰囲気をしばしば醸し出します。
しかし、初心者の人はマニアが見落としがちになる視点を持っていることがよくあるのです。
忘れていた感覚
勉強になるというのはまさにこの点で自分が知らない、忘れていた感覚を思い出す、あるいは研ぎ直す作業にもなっていきます。
私はしばしばプロレス会場のお客さんの、「これは初心者っぽいな」という方の会話を聞くともなしに聞いています。
折を見ての振り返り
それを自分の中にフィードバックすることで気づきをいただいているのです。
そうして日々自分の感覚を更新してなるべく独りよがりにならないようつとめています。
何でもそうですが、折をみての振り返りって大事ですよね。