[プロレスコラム] プロレス想い出回想録 猪木について考える事は喜びである⑥落日の闘魂に惹かれた理由

[プロレスコラム]プロレス想い出回想録

プロレス想い出回想録 猪木について考える事は喜びである⑥落日の闘魂に惹かれた理由

足が浮くジャーマン

私がプロレスを観出したのは、7歳の時。一番印象に残ったのは、まだ若き藤波辰巳が試合に出ていた姿。

その次が「足が浮くジャーマン」が脳裏に焼きついた、対ストロング小林戦でのアントニオ猪木。

ターバン姿の男

しかし、幼い私の中で激烈なインパクトを残しているのは、客席からいきなり現れたターバン姿の男であった。

のちに彼は、インドの狂虎と呼ばれ、猪木と数々の死闘を繰り広げた。

どんな子どもだったか

ではなぜ、後に新宿で買い物中の猪木夫妻を襲撃したタイガー・ジェット・シンに惹かれたのか?

その理由を述べる前に当時の私が、どんな子どもだったかをお話ししておく必要がある。

とにかく身体が弱い

子どもの頃の私は、とにかく身体が弱く、しょっちゅう風邪をひいていた。

もちろん、今で言うインドアな人間でもあったので、よくいじめられてもいた。

強さを求める者を嫌悪

力を誇示してくるいじめっこたちのように、「自分も力がほしい」と一念発起して、格闘技を習った末にプロ選手になったような人もいたのだが、自分は、人を傷つける力などほしいとは思わなかった。

強さを求める者、強さに惹かれる者をひたすら嫌悪していた。

マイ・ヒーロー

だから、そんな力を持った者を手段を選ばず襲撃し、ひどい目に遭わせるタイガー・ジェット・シンこそがマイ・ヒーローだった。

私がプロレスに対して強さを求めていなかったのは、自分の原体験に「強さへの嫌悪」があったことは間違いない。

一から自分を鍛えて

「自分も強くなりたい」ではなく、「自分より強い奴はやっつけられればいい」という嗜好は、その後テレビ朝日系列で放送されていた「必殺シリーズ」にハマっていくきっかけにもなっていった。

考えてみれば、入門前にスポーツマンとして完成されていたジャイアント馬場と違い、格闘技経験のなかったアントニオ猪木は、一から自分を鍛えていき、プロレスラーになるしかなかった。

強さを渇望する気持ち

この何物でもなかった青年が、強さを渇望する気持ちは大人になってから、ようやく理解できたのだが、子どもの頃はまだ理解できなかった。

従って、猪木が最強を求め、異種格闘技戦へ舵をきってからは、あまりプロレスには熱狂しなくなっていった。

リアルタイム視聴したが

とどめは、当時「世紀の凡戦」と酷評された猪木対アリ戦だった。

当時小学5年生だった私は、昼間の中継でリアルタイム視聴したのを覚えているが、正直あれが総合格闘技の開祖となる試合になるなど、想像もできなかった。

真の魅力までは

無理もない。当時の子どもの理解力では、あの試合の真の魅力までは到底わかるはずもなかった。

従って、この猪木対アリ戦を契機に、私はプロレスを見なくなった。下手すればそのまま後年の記録も知らないまま、一生を終えていたかもしれない。

プロレスに失望してい

それくらい当時の自分が、強さに失望し、猪木に失望し、プロレスに失望していたのだ。

しかし、私はプロレスに戻ってきた。猪木は既に全盛期をすぎ、冴え渡っていたひらめきも、ことごとく外し、配下のレスラーは続々と離れて行った。

落日の闘魂は

だが、そんな落日の闘魂は、私の胸に刺さっていった。

プロレスとは不思議なもので、スポーツ選手との全盛期が最も魅力的であるとは限らない。

リアルタイムの猪木

なんなら、引退を求める声も高くなり、往年のパフォーマンスができなくなった頃に、不思議と記憶に刻まれることさえある。

猪木の名勝負をいくつか見返しても、記憶に刻まれていたのは、自分がリアルタイムで再びプロレスを見出してからのアントニオ猪木だった。

長い時間をかけて

試合のクオリティとしては、日プロ時代や、新日初期の方が圧倒的に素晴らしい。にも関わらず、だ。

日が昇る勢いの若獅子より、落日の闘魂に惹かれた私は、こうして長い時間をかけて、猪木の虜になっていった。

プロレス想い出回想録
プロレス“ザ・モンスター”ハラダが自らの体験を赤裸々に綴った回想録記事です。長い期間プロレスを見てきた彼が抱えてきた出会いと別れ、予想外の悲しみ、そして「楽になりたい」という想いとは?彼が「書く」ことで得た救いとは何だったのか?感動必至の一読です。







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