プロレス想い出回想録 ブルースブロディ氏との奇妙な縁②ラジオとプロレスと武道館
最初はコサキン
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ブルースブロディ氏と私の最初の接点は、長寿ラジオ番組「コサキン」だった。
実はコサキンの放送初期に、自主映画を撮る企画があった。その名も「コサキン仮面」。
そのコサキン仮面に、ブルースブロディ氏も顔出しで出演していた。残念ながら近々の上映会は都内で開催されており、参加は叶わなかったのだが、後年コサキンが日本武道館でイベントを開催した際、武道館でも「コサキン仮面」は上映された。
スクリーン越しの
つまり、私はブルースブロディ氏とは、武道館のスクリーン越しに「対面」を果たしていたのである。
この武道館イベントは当時の深夜ラジオイベントでは画期的な出来事で、後々ウッチャンナンチャンや、オードリーなど錚々たるメンツがイベントをやっている。
近年のラジオイベントは全て有料大会が普通になっているが、昭和の時代はハガキで申し込んで当選すれば誰でも参加できた。
武道館イベント
私が参加したのは、豊洲ピットで行われたイベントと武道館の二つだけだが、武道館はゲストもすごかった。
まず、海老一染之助・染太郎ご両名の「お染ブラザーズ」による芸にはじまり、まだ無名時代のルー大柴さん、そして当時ラジオで話題になっていた沢口靖子さんと今では考えられないメンツがずらっと並んでいた。
ちなみに、私の二列前には漫画家の秋本治さんが座っておられ、舞台から紹介されていた。はじめて生で漫画家さんをみたのも武道館だったのだ。
武道館のプロレスは
その中でみたコサキン仮面は、いかにも自主映画らしいチープな作品だったが、逆にそれが良かったようにおもう。
後に、ブルースブロディ氏と懇意になった時、この武道館での出来事を話すと彼は笑っていた。
余談になるが、私は2021年時点で、日本武道館でプロレス観戦をした事がない。
生まれながらの山口県民でありながら、都心の会場は、東京ドームからケルベロス道場まで幅広く網羅しているのだが、なぜか武道館のプロレスとは全く縁がないまま現在に至っている。
ネットのない時代は
唯一の接点は、全日本プロレスがかつて行った世界最強タッグにおける、クローズドサーキットで「武道館のプロレス」を北九州で遠隔体験している。
あの時はいきなりダイナマイトキッドが引退を発表したため、その衝撃で最強タッグの印象が吹き飛んでしまった想い出がある。
今ならネットが繋がる環境にいれば、レッスルマニアだろうが、レッスルキングダムだろうが、ありとあらゆる場所のプロレスが遠隔観戦できるのだが、まだネットのない時代は、何処かに出向かなければ、観戦する事が叶わなかった。
不自由ながらも
もっともそうして出かけた先のご縁で、ブルースブロディ氏とは繋がっていったので、不自由ながらも楽しい時代でもあった。
ブルースブロディ氏との縁はプロレスとラジオが繋いでくれた。それは確かに私の人生を豊かにしてくれた。その事については、ただひたすらに感謝するほかない。