プロレス的発想の転換のすすめ()終わりなき人生の連戦
再び無職に
今回は予測不能な人生とプロレスについてお話しします。 実を言うと、私は母が入院した後、一度はフリーランスとして働くことができていました。
しかし、2024年1月の白内障手術を機に、その仕事を辞めざるを得なくなったのです。
突如訪れた暗転
理由は、父の入院や私自身の白内障手術によって、どうしても仕事を休まざるを得なかったためです。ここで私は、フリーランスという生き方の不安定さを思い知らされました。たとえ病気になろうが、視力を損なおうが、自ら動いて「闘い」を見せなければ、収入は皆無なのです。しかも当時の仕事は、一度穴を空けてしまうとブランクを埋めて復帰することができない仕組みになっていました。
どん底からの再起
再び無職に逆戻りした私は、縋る思いで社会福祉協議会に電話をしました。
そこで運良く障害者就労移行支援につながり、なんとか首の皮一枚で繋がることができたのです。
当時、私は精神障害者手帳の取得という手段をすっかり失念しており、障害年金の申請ばかりに固執していました。
しかし、就労移行支援では昼食が提供されたため、ギリギリのところで食事には困りませんでした。そこから先はパートの仕事にもありつけ、なんとか生活は成り立ちました。
還暦からの新展開
そして2024年10月に私が還暦を迎えたことで、国民年金の支払いが終了しました。
さらに、母が掛けてくれていた保険金がわずかばかり入るようになります。
その頃、母は入院先の認知症病棟で大腿骨を骨折してしまいました。これを機に介護度が上がり、病院から施設へと移ることになったのです。
哀しみの連戦を抜けて
2025年2月、就労移行支援を経て現在の職場で週3日働くことになり、ようやく一段落したかと思いきや、3月に父が他界しました。
新しい仕事に有給休暇などあるはずもありません。
しかし幸いだったのは、働き始めたばかりの私にも、戻るべき席と仕事が用意されていたことでした。
おかげで安心して人生初の喪主を務め、家族葬という形で最小限ながら葬儀を執り行うことができました。この一件で、組織に属して働くことのありがたみをしみじみと実感したのです。
怒涛の春と認定
家族を亡くす経験は平成2年に祖母が他界して以来で、諸手続きを自分で行うのは初めてのことでした。
おまけに新しい仕事も覚えなくてはならず、2025年の春先は心身ともに余裕がありませんでした。
父と弁護士さんとの成年後見人契約は解消となりましたが、父が生命保険の類に入っていなかったため、相変わらず生活は苦しいままでした。
初夏の頃、精神障害者手帳は2級の認定を受け、映画料金や一部の交通費が軽減されました。これで幾分か生活が楽になったのです。
母との別れと相続
6月になり父の納骨が終わった頃、今度は施設にいた母がてんかんを発症し、元の病院に逆戻りすることになりました。
一時は回復し、施設に戻れる兆しも見えましたが、夏場に体調が急変。
9月になると、あっという間に亡くなってしまいました。
父の時は夜中、母の時は早朝。どちらも寝ている時に叩き起こされるような報せでした。
父は眠るように逝きましたが、母は亡くなった直後だったためか、遺体を運ぶ際に頭が温かかったのを今でも覚えています。
闘い抜いた証
両親が亡くなった際、真っ先に口を突いて出た言葉は「よく頑張ったね」でした。
天寿を全うした両親へ向けた言葉でしたが、今思えば、必死に介護を続けた自分自身にも向けていたのかもしれません。
親が亡くなってすべてが終わり、というわけではありません。
父が亡くなった当初は母が代表相続人でしたが、その後を追うように母も亡くなったため、相続人は急遽私になりました。 母が生命保険に加入していたことは知っていました。
度重なる入院や転院のたび、私が代わりに出給付申請を行っていたからです。母が遺してくれたお金によって、私はどうにか救われました。
運命への向き合い方
確かに誰もいない家で一人過ごすのは寂しいものです。
しかし、それ以上に「介護をやり遂げた」という充実感が勝っていました。
私は両親の介護と自身の病によって、人生が一変する経験をしました。
人生は予測不能で有限であり、その困難にどう向き合うかは自分次第なのだと学びました。
立ち上がるのは自分
プロレスのリングでは、予期せぬアクシデントがつきものです。
1990年代、全日本プロレスで活躍した小橋建太選手は、度重なる膝の負傷やガンという、文字通り命に関わる巨大な敵に何度も見舞われました。
しかし、彼はその都度、不屈の精神でリングに帰り、ファンの魂を揺さぶりました。
一方で、プロレス界には「不慮の事故」でキャリアを断たれた選手や、志半ばで去った者も少なくありません。
心理学の世界では、変えられない運命を嘆くよりも、その運命に対して「どう応答するか(レスポンス)」にこそ人間の自由があると考えます。
たとえ、人生という「闘い」において不条理なフォール負けを喫しそうになっても、肩を上げるかどうかは、他ならぬ自分自身の意思にかかっています。
凄惨な事件や悲劇が起きるプロレス界において、それでも観客が明日への活力を得る権利を捨てないように、自分の人生をどう彩り、どう決着させるかは、いつだって自分次第なのです。
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