私的プロレススーパースター烈伝#87 ボブ・バックランド
非常に純朴で愛すべき人物
今回はニューヨークの帝王として一世を風靡したボブ・バックランド選手のご紹介です。
ボブ選手は1973年にNWAのトライステート地区でデビュー。翌1974年3月、テキサス州アマリロに転じ、ジャンボ鶴田やスタン・ハンセンと邂逅し、3人は同じ車で移動していました。
腕自慢の素人を抑え込む役
レスリングの技術は高く、腕自慢の素人を抑え込む役ができることでプロモーターから信頼されていました。
また練習熱心なことでも定評があり、ダイナマイト・キッド選手は「ステロイドには一度も手を出さず、一生懸命トレーニングに励んでいました。
純朴で愛すべき人物
ホテルの中でさえも、朝になるとボブが階段を上り下りしている姿が見受けられた」などと自著で記しています。
アマリロで一緒だったスタン・ハンセンさん曰く、非常に純朴で愛すべき人物とのこと。
業界にはもったいないくらい
グリーンボーイ時代にローカルタイトルを奪取した際、「そのベルトを獲得した者は肌身離さず装備しなければならない」という先輩レスラーの冗談を真に受けて、ベルトを腰に巻いたままレストランで食事をしていたそうです。
その人柄については、WWFではヒールのマネージャーとして敵対関係にあったフレッド・ブラッシーさんも自著で触れており、「酒もドラッグもやらず、レスリングと家族を愛する、この業界にはもったいないくらいの素晴らしい男」などと評しています。
ニューヨークの若き帝王
ビンス・マクマホン・シニア・WWWF代表はアメリカ人全体の支持を集めるべくボブ・バックランドさんはプロデュースされました。1978年2月20日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてスーパースター・ビリー・グラハムを破り、WWWFヘビー級王座を獲得。
1978年5月に新日初参戦
以降、翌年にWWWFが団体名をWWFに変更し、タイトルもWWFヘビー級王座と改称されてからも、ニューヨークの若き帝王として幾多のチャレンジャーを迎え撃ちました。
WWFと提携していた新日本プロレスには1978年5月に初参戦。以降もWWF王者として来日し、たびたび防衛戦を行っています。
長過ぎたショートアームシザース
当時、若き藤波さんが大物テクニシャンレスラーとの試合で時間が長いときは、まず「長過ぎたショートアームシザース」が出ていたかと思われます。
このフレーズは当時実況をしていた古舘伊知郎さんがよく言っていた表現で、猪木戦のほか、バックランド戦でも使用されていました。
古典的な関節技
ショートアームシザースは、プロレスで古典的な関節技の一つで、キー・ロック 鍵穴固めとも いわれ、相手の腕を痛める関節技です。
それと共に技をかけた方のレスラーが息の乱れを整える為の休憩?する技とも言えます 。
弟子の藤波さんも得意
猪木さんも長過ぎたショートアームシザースをしてますから弟子の藤波さんも得意でした。
特にボブバックランドさんに持ち上げえられるシーンは個人的によく覚えています。