[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝㉓エル・サムライ

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝

サムライへの変身

今回は新日本ジュニアにおいて、いぶし銀の魅力を発揮していたエル・サムライ選手のお話をしたいとおもいます。

1985年4月、新日本プロレスに入門。同期に飯塚孝之(後に飯塚高史)選手がいます。入門から約3ヶ月後、1986年7月24日、船木優治(現・誠勝)戦にてデビューします。

1991年3月、メキシコへ初遠征し、UWAエリアを中心に活動します。

6回目の挑戦

この時代にマスクマン・エル・サムライとなります。1992年に凱旋帰国してからは、新日本だけでなく、プロレス界のジュニア戦士としてめざましい活躍をしていきます。

1997年6月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアIVでは、決勝で金本浩二選手を下し、トップ・オブ・ザ・スーパージュニアの時代から数えて6回目の挑戦で悲願の初優勝を遂げました。

ジュニア黄金期の活躍

さらに、同年7月にはライガーを下し第4代ジュニア7冠王座を獲得。IWGPジュニアヘビー・UWA世界ジュニアライトヘビー・WWF世界ライトヘビーの三王座は自身二度目の戴冠となるなど飛躍の契機を掴むも、わずか一ヶ月後の8月大谷晋二郎選手に敗れる形で、一度も防衛することなく同王座から陥落。

90年代後半、新日本プロレスが坂口征二社長体制の第二期ジュニア黄金期と呼ばれる時代になると、ペガサス・ブラック・タイガー(二代目)・マレンコらと激闘を繰り広げ、トンガリコーンズが台頭して来ると、ライガー・保永昇男(保永引退後はケンドー・カシン)とタッグを組み若手の壁としてジュニア戦線を盛り上げました。

珍しい事例

サムライ選手は、2007年9月、膝のケガによる長期欠場を発表。

これまでケガによる欠場はなく、エル・サムライ=ケガをしない選手という評判だったため珍しい事例を残します。

負傷から現在まで

新日本プロレス退団以降、欠場中であった翌2008年2月、新日本プロレスを退団。

フリーへ転向したサムライ選手は、現在名古屋のスボルディーバ所属となっていますが、ほとんど試合はできない状態で、2020年1月4日に行われた獣神サンダー・ライガー引退試合では、セコンドとして久々に姿をみせました。






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