プロレス的音楽徒然草 INTO THE ARENA
ダイジェストで試合を流す
今回はワールドプロレスリングの挿入曲の一つであった、マイケルシェンカーグループの「INTO THE ARENA」をご紹介します。現在の30分形式になる前のワールドプロレスリングは、元々60分番組でした。この60分時代に一時期、番組のエンディングがわりに、中継から漏れた試合をダイジェストで流すという試みがなされていました。
この時にバックで使われていた楽曲が「INTO THE ARENA」でした。マイケルシェンカーグループは、1979年に結成されたバンドで、現在にいたるまでメンバーチェンジを繰り返しながら活動しています。
ハイレベルな演奏能力
アメリカではヒットに恵まれていませんが、ハード・ロックの流れを上手く受け継ぎ、分かりやすい曲調とシンプルなビート、そして時に織り込まれるメロウなメロディを特徴としており、日本では根強い人気を誇っています。
私はギターを弾くことはできませんが、このINTO THE ARENAを人前で弾きこなすには、基礎的なテクニックがしっかり身に付いていてキッチリしたリズム感が必要なんだそうで、結構ハイレベルな演奏能力がないと難しいらしいですね。
マイケルシェンカーグループと、プロレス界との関わりで言うと、80年代後半から彼らが一斉を風靡したこともあり、90年代にわたっていろんな選手の入場テーマ曲に使用されたバンドです。
複数スター制の産物
ただ、入場テーマ曲と違い、尺の問題もありますので、当然曲の全てが番組で使われるわけではありません。現在でもワールドプロレスリング、および新日本の大会スタート前に流れる「ザ・スコアー」も60分時代はオープニングだけでなく、番組中盤のジングルにも使用されていました。
録画中継が主体
たまたま90年代の新日本は、アントニオ猪木という単一のスターが支配する形から、長州・藤波、闘魂三銃士ら複数スターが頭角を現してきた時代になっていました。また80年代はまだ生放送主体でしたが、90年代に差し掛かると、録画中継が主体になっていきました。
自分のベストバウト
複数スター制ということは、スポットライトを当てるべき選手がたくさんいるわけです。
そこで、ノーカットは無理としても試合を時間内になるべく流そうという試みだったのでしょうね。個人的にはそうした中から、自分のベストバウトを探す楽しみもあったわけです。
現在では貴重な映像
こうした中には現在もベテランとして活躍している第三世代がヤングライオンとしてわずかばかりですが、登場していたのです。
後々このダイジェスト映像が、CSのワールドプロレスリングクラシックスにおいて、完全版として流されたりしているので、現在では非常に貴重な映像になるわけですね。今にして思うと「何でも記録しておくもんだな」という事を痛感させられたわけです。
ヤングライオン第一世代の功績
時代的にも専門誌が中継のない前座やイキの良い若手の試合などを独自に取り上げ始めた頃でもありました。闘魂三銃士世代は、長州軍団やUWFなどの大量離脱の影響で、 次世代のスター選手をそだてなければならない、という新日本プロレスのお家事情によって、若手時代からスポットライトが当たっていた選手たちでした。いわゆる「ヤングライオン」の第1世代が彼らであったのです。
若手の試合映像を残す
ですから、その下の世代である第三世代にも比較的注目が集まりやすい状況でもありました。
闘魂三銃士というパッケージがヒットしたせいか、闘魂トリオやアマレス三銃士といったユニットが誕生しましたが、個々の選手としてはそれぞれスターになれたものの、ユニットではいまひとつという感じでした。
とはいえ、現在も新日本ワールドやワールドプロレスリングLiveなどで第1試合から完全中継される流れは間違いなく闘魂三銃士の成功がもたらした福音でしょう。昭和の時代ならまず若手の試合映像を残すという発想自体がなかったはずです。
記憶に残る楽曲
そう考えると、90年代に様々な試合をダイジェストで流していた、というのは現在においては重要な意味があるわけで、INTO THE ARENAはその記録と共に、プロレスファンの記憶に残る楽曲になった、と私は思うのです。