プロレス的音楽徒然草 Eyes of the World(アイズ・オブ・ザ・ワールド)
TPGの刺客
今回は2018年6月18日に永眠された故・ビッグバン・ベイダー選手のテーマ「Eyes of the World」をご紹介します。といってもオールドファンには今更感があるかとは思いますが、若いファンであるあなたに、ベイダー選手のすごさを知っていただきたくて、この記事を書こうと思い立ちました。
ベイダー選手の日本初登場(1987年12月)はTPGたけしプロレス軍団の刺客という触れ込みでのものでした。当時実力が下り坂にあったとはいえ、あのアントニオ猪木さんを破って、実力者ぶりをアピールした時の印象は今でも鮮明に覚えています。
咀嚼して理解した凄さ
まあでもリアルタイムで見ていた時は、TPGの名とともに有名になった「暴動」のシーンがやたら記憶に残っていたので、ベイダー選手のすごさは後々生観戦する中で、咀嚼して理解していったというのが本当のところでした。
とはいえ、ベイダー選手が最初から優れていたかというとそうではありません。その証拠がこの試合。AWAにおいてまだ本名のレオン・ホワイト名義で試合をしていた映像があります。対戦相手は後に、東京ドームと福岡国際センターで二度の死闘を繰り広げた、不沈艦スタン・ハンセンの盟友である、キングコング・ブルーザー・ブロディ選手です。
ベイダー対ブロディだったら
時期的にはベイダー選手がプロレス転向後、間もなくの頃(1985年前後)ではないかと思われます。ブロディのマネージャーに、ザ・シークがついているのも時代を感じさせます。85年3月にブロディは日本での主戦場を新日本プロレスに移しますが、日本では対ベイダー戦は実現していません。
同じフットボーラーあがりで、巨漢という共通項がありますが、やはり場数を踏んでいるブロディの強さが目立つ試合で、まだベイダーになっていないホワイト選手は、フットボール時代に痛めた、古傷の膝を攻められて苦悶の表情を浮かべるばかり。もともとブロディは自分勝手なファイトをすることでも有名でしたから、別におかしくはないのですけどね。
実際、動画をみたらわかる通り、ほぼ一方的なブロディペースの試合で、終盤にはシークも介入して、ブロディは反則負けをとられています。ですけど、考えてみたらこの試合の二年後にはもう「ビッグバン・ベイダー」になって猪木さんから勝利しているのですから、まさに急成長したことになります。
こののち、1988年7月17日にブロディ選手は刺殺という最悪の形で人生の幕を下ろしてしまうのですが、日本でも見たかったカードであることは間違いないでしょう。レオン・ホワイトではなく、ビッグバン・ベイダーとしてブロディと闘っていたら・・・・どうなっていたでしょうね?
ハンセンとの激闘
レオン・ホワイトさんをプロレスにスカウトしたのはAWAのオーナー・バーン・ガニアだったそうですが、そのAWAゾーンでサーキットをしていたマサ斎藤さん(TPGのコーチ役)が日本にスカウトしています。
日本では故・クラッシャー・バンバン・ビガロ選手から、日本マット向けの「手ほどき」も受けていたと聞きます。ビガロ選手もまたプロレスのうまさでは定評のある選手で、新日本でも大活躍したトップ外国人レスラーでした。このマサさんとビガロ選手との出会いが「皇帝戦士」を生んだといっても過言ではないでしょうね。
福岡での再戦
その後の活躍はいうまでもないことです。新日本、全日本、Uインター、ノア、WCWにWWF(WWE)まで世界を股にかけたワールドワイドなプロレスラーとして世界的知名度を誇る選手になっていきました。
個人的には福岡国際センターでみたIWGP選手権ベイダー対ハンセン(90.2.10東京ドームの再戦)と、北九州でみた武藤&橋本&蝶野対ベイダー&サモアン&コキーナ(ヨコズナ)、あと広島で藤波さんとIWGPをかけて戦った試合が印象に残っています。
特に90年6月12日の福岡のIWGPを賭けた再戦は、2.10もみた友人のプロレスファンをして「東京ドーム以上の試合」と言わしめたほどです。この試合は新日本ワールドにもありますので、機会があったらご覧になってください。
昨年、ドラディションで久々の来日を果たした時には、仕事で行けなかったのですが、今思うと万難を排してでもいっておけばよかったと激しく後悔しています。
日本の試合だけ
さて「Eyes of the World」は当然、日本の試合でしか使われていません。版権の厳しいアメリカではオリジナルの入場テーマ曲を用意されるのが通例で、ベイダー選手も例外ではありませんでした。
しかしWWE版のテーマ(mastodon)は冒頭にベイダー選手の肉声が入っている以外は特徴的でもなんでもない感じが私にはします。ぶっちゃけていうと「物足りない」のですね。やはり「Eyes of the World」の方がより不気味で、しかも圧倒的な強さも感じるのではないかと私は思っています。
ヴォーカルはカット
演奏しているレインボーにとっては、リッチー・ブラックモアを別にすれば唯一のオリジナル・メンバーだったロニー・ジェイムス・ディオが脱退した後の初アルバム「Down to Earth」の二曲目に入っています。日本でもヒットチャート最高15位までいった作品です。この中から「Eyes of the World」を選曲した方のセンスはやはり卓越していますね。
ちなみにプロレス実況と歌の部分かぶらない配慮をするために、「Eyes of the World」の入場版もヴォーカル部分はカットされています。プロレスの入場テーマにインストゥルメンタルもしくはインストに準ずる曲が多いのは、その「なごり」ですね。今でこそテレビ中継も音声がよくなってこうした配慮もいらなくなりましたが、昭和末期~平成初期はまだそうした「加工」が必要だった時代でもあったのです。
とはいえ、イントロの荘厳さや圧倒的なラスボス感は原曲の力によるところが大なのは疑いようもありません。
レインボーの楽曲の力もまた皇帝戦士のイメージ作りに欠かせない要素になっていたことは事実だと私は断言します。
先ほども書きましたが、最後の来日になった昨年のドラディションには、諸般の事情で行けずじまいになりました。
それが今更のように悔やまれてなりません。しかし数々の激闘を生で拝見できた幸運にはただただ感謝しかありません。
皇帝戦士よ、今まで本当にありがとうございました。どうかやすらかにお休みください・・・・