プロレス想い出コラム~林祥弘との尽きない想い出の数々(5)
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追悼のつもりで書いていたのに、初期の林祥弘がレスラーとしてはイマイチとかかなりひどいことを書いてきたので、そろそろ皆が知っている林像にイメージを集約していく必要がある。今回はこれもめぐりあわせが重なったお話になるかと思う。
タッグ王者として巌流島で初のタッグチャンピオンに輝いた林・野本だったが、防衛を重ねてまもなく一年という流れの中でお互いがシングルプレイヤーとしての欲が目立つようになってきた。その中で台頭してきたのが、七海健大とジャンボ原のジャンケンコンビだった。
前代未聞のユニット抗争
もともと才能のあった2人だったので、戴冠自体は特に不思議ではなかったのだが、メイン終了後、当時のGWAの絶対王者、マスクドPTが挑戦者を募ったところ、真っ先に名乗りをあげたのが野本・林だった。
タッグ路線の終結を宣言して2人はシングルプレイヤーへ転向・・・するはずだったのだが、そうはうまくいかないのが世の常。
がむしゃらプロレスは前代未聞のユニット抗争の流れに突入してしまい、あろうことか虎の子のベルトをとったジャンケンコンビと林は同じユニット「OVER THE LIMIT」に加入する形になってしまった。
ユニット内無冠
ところがユニット内ではジュニア王座をもつYASUとタッグのベルトをもつ健大・ジャンボの中でや林だけが無冠だったのだ。
それを締めの挨拶で林は自虐的に話していたこともあったが、内心シングルプレイヤーとしてなかなか目が出ない自分へのいらだちも感じていたのかもしれない。
しかもタッグチームとして活動しているジャンケンタッグと、シングル王者であるYASUとは同じユニットにいながらほとんど組むこともなかった。たまに組んだことはあることはあるのだが、同じチーム内にタッグチャンピオンがいるともうひとつのチームはなかなか起動しないものでもある。結局あのユニットでは林だけが蚊帳の外にいた印象が私にはある。
GAM1で優勝しても
結局ユニット結成期間中に林がシングルのベルトを巻くことはなかった。一度GAM1で優勝はしてるが、その結果挑んだタイトルマッチでは当時の王者スミスに惜敗。それがベビーフェイスとしての林の限界だったのかもしれない。
プロの選手だと若手が海外武者修行に行って帰国すると別人になって帰ってくるという、プロレスでは昔からよくあるパターンがある。
近年では新日本のEVILやカマイタチ(高橋ヒロム)らがそれに相当するだろう。で、社会人にも実は仕事の関係で一時的に姿を消したり、あるいは一身上の都合でプロレスから離れざるをえなくなってしまうことがある。
世代が代わり始めていた
とはいえ、一度忙しくなっちゃうと社会人レスラーはそのままフェードアウトしてしまうというのが、だいたいの常でもあった。そうしていなくなっていった選手も数多くいて、それは仕方ないことでもあった。皮肉なことに時代は林たちの世代を超えて陽樹や鉄生の世代にうつり始めていた。
時代の流れはこういう時に容赦はしてくれない。もちろん鉄生も陽樹もデビューから見てきてはいるのだけど、年数はやはり林たちの方が長い。その分思い入れも多くなっているのは仕方ない。
ところが林の場合は幸か不幸か忙しいながらも、なんとかプロレス活動ができるようになって帰ってきた。
センセーショナルな復帰
しかも今もなおがむしゃらプロレスの中心勢力であるgWoに加入してのヒールターン。これはセンセーショナルな復帰だった。
GAM1で優勝した陽樹を蹴散らしての乱入シーンは今も鮮やかに記憶に残っている。ここから林の快進撃が始まる。正直彼が姿を消していた一年間はプロレスラー林祥弘の印象を変えるにはちょうどいい時間にもなっていた。
七海健大が一足お先にGWAのシングル王者になった瞬間、口下手な林が思わずリングに上がり挑戦表明。その勢いで夏の門司港でベルト奪取。二回目の北九州芸術劇場のメインの座を自力で奪っていった。そこで、陽樹相手に初防衛には失敗するものの、その年では文句ないベストバウトをたたき出した。
そこにはもうロープワークにもたつき、シングルプレイヤーとして伸び悩んでいた林の姿はどこにもなかった。
努力でつかんだベストバウト
後にとある選手から「メインはあの2人で本当によかったと思う」と聞いて、選手サイドからも評価が高かったんだなということを知ってうれしくなった。
あの試合は紛れもなく、デビュー時から林が言い続けてきた「ドラゲーではないプロレス」の集大成だったと私は思っている。理想のプロレスを完成させるまでに実に6年。本当に長かったし、でもここまで見放さずに辛抱強く見続けてきて本当によかったと思った。
gWoの功績をひとつあげるとしたら、私はシングルプレイヤーとしての林を完成させたという事実をあげておきたい。
もちろんそれは林自身が努力でつかんだベストバウトでもあるのだが、やはりチャンスをものにできたという点ではより自分らしいことができていたのではないかと私は思っている。
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