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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(214) 最終章「引き算の生き方」⑪

時と場合によっては必要な・・・

長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。

自分の中では不快感の軽減に努めてきたのがこの数年のテーマでした。それが結局、実家を離れ、群れを離れ、不快な人間関係から離れ、してきたわけです。その中で最近引き算したい、と私が思っているのが「正装」なんですね。これは時と場合によっては必要になるので、全てをなくすわけにはいきません。一応社会人を20年近くやってきましたので、心得はあるつもりです。

この間もとあるホテルで交流会が開催されて出てきたんですね。私は交わりたい時には交わり、そうでない時は関わらないスタンスなんで、昔みたいに「ここにいちゃいけない」という感覚は全くなかったのです。

ですから、必要以上に交流しなかった点では自分にも収穫がありました。基本フリーランスの集まりなんで、ラフな服装の方も少数派ではありますが、いらっしゃいました。ただ、その場の雰囲気を楽しんでくつろげたかどうか、と言われたらちょっと微妙でしたね。

やはりドレスコードが必要な場合もある場所でくつろげ、というのはやはり私には無理があると思うのです。それは他者による「常識」という名の足かせありきな話なので、普段からラフな格好しかしない私にとっては、非常に居心地が悪いわけです。別に他の方に失礼を働く気もないですし、相手にしたくない方は無視してくれて構わないので、交流のあるなしは大して問題ではありません。

私にとって居場所とは

そもそも自分には力が入りすぎるきらいがあるので、数年前から「緩める」ことも視野に入れて生活しているのですが、どんどん在宅ワーカー化している自分がいることに気がつきました。チームで働くというのは散々やってきましたからね。そこに自分をはめてひとつのピースになるということについてはもはや違和感しかないので、今からその方向に自分が向かう事もないと思います。

考えてみたらパブリックの場って、私の意思如何に関わらず、くつろぎの要素って少ないんですよ。私が失敗したのは、参加者が皆気心が知れているので、違う場所でもくつろげる、と思い込んでいたからなんですね。

現実は場所が変わると、意外と窮屈だったんです。つまり私にとって居場所とは、気心の知れた人たち+気心の知れた場所がセットになったものだったわけです。これがわかっただけでもだいぶ楽になれましたね。教訓として「上品な店には近づくな」という最適解も得られましたからね。

場所に自分を合わせるでなし、かといって場所を自分に合わせさせるでないという生き方は、私が提唱している「引き算」とは異なるかも知れません。ですが、私が生きやすさを求めて得た答えならば、それはそれで受け入れたいと思ってます。

結果的には無用の交流を減らすことにもつながりますから、私的には全く問題がありません。やはり今でもやってみなければわからないことはあるものです。

今後も気づきと学びを繰り返しながら、自分の生き方にもっともふさわしい着地点を求めて、これからも私はいろんなものを引き算していくことになりそうです。

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