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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(145) 自分の問題と向き合うための10の闘い(35) 苦手だけど本能と結びついている恋愛と結婚⑤

2017/07/04

以前、色んな人にインタビューしてそれをブログ化しないか?という仕事を持ちかけられたことがありました。その時はただ何となく気乗りしなくて断ったのですが、ふと「なんで断ったのか?」が気になり出してしまったため、今回はそのお話をしてみたいと思います。

カウンセリングに出会う前の私はとにかく人にどう評価されるか?どう人の役に立てるか?ばかりが気になる人間でした。極端にいうなら、他人(他人の評価)と向き合うことには熱心だけど、自分自身と向き合うことからはひたすら目を背けてきました。

ですから、人間としての基本的な欲求に関しても「なかったこと」にしてしまえたのです。

しかし、カウンセリングでは否が応でも自分自身と向き合うことになります。カウンセリングを受け続けた結果、他人から評価されたい感覚より、自分がどうしたいかという感覚の方が強くなっていきました。

ただ、私はどうも極端から極端に走る傾向があるようで、極端に他人のことばかり気にして生きてきた人生が、極端に自分のことにしか興味が向かない人生へと180度変化してしまいました。

今では全くと言っていいほど、他人に対して歓心を失くしてしまいました。全く気にならないわけではないのですが、ほぼどうでもいいので、他人がどんな生き方をして、どう生きたいかとか言う、自分の人生とは関係なさそうな事柄は、ほぼスルーするようにさえなってしまいました。

まあ、たまに人の人生が鏡になって自分の人生の糧になることもあるので、稀に振り返りみることもあるわけですけど、普段はほぼどうでもいいので、他人のことには興味がもてないわけです。

そうすると、いくら仕事として人の話を聞くにしても、歓心がなければモチベーションも上がりにくいし、ましてやそれを文章化するなんて作業が面白くなるとは到底思えなかったのです。

こうして考えていくと、ただなんとなく気乗りしなかったというだけのことにも、実は重大な意味が隠れているのかもしれません。恋愛や結婚に気乗りしないのも、多分独り身でいることのメリットがあって、それを手放したくない何からの理由を、私が持っているのだと考えられるわけです。

話はそれましたが、たぶん私が以前のように、自分のことより、他人に対して役に立ちたいと考えていたなら、この話も断ることはなかったでしょう。でも今はいい感じで自分とも他人とも向き合えている感じがしているので、本能的欲求を我慢していたころとは明らかに、心身ともに楽になっている感じがしています。

そう思うと、自分が求めていることは必ずしも間違ってはいないわけです。この状態のまま自由でいられることが自分の本当に求めていることだというのは、たぶん大きくは外れてはいないと思います。











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