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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(207) 最終章「引き算の生き方」④

週2日のミッション

長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。

さて、2018年2月より一人暮らしを始めました。なぜ今頃ひとり暮らしをはじめたのか?

それは両親の介護が始まったからです。そもそも両親の面倒をみる肉親は私しかいません。しかし、年々ボケていく一方の両親との同居に加え、片道一時間の通勤は心身ともに負荷がかかりすぎていました。下手をすると、私共々共倒れになる危険性も十分にあったわけです。そこで地域包括センターと相談した結果、私が独立して両親と距離を置くことになったのです。

とはいえ、両親をずっと放ったらかしにできる状況ではないため、週に2日は実家住まいという変則的な生活を続けています。ですので、少ないとはいえ、実家住まいでもあります。住民票も実家のままです。いつ戻ることになるかもわからないわけですから。

具体的には、両親が買ってくる無駄な食材を冷蔵庫から一掃したり、ボケの進行具合によっては、包括センターに連絡するなどのミッションがあります。前者は毎週ありますが、後者は幸いにして2018年現在、ありません。

踏み出すまでが本当に大変

しかし、いずれ時が進めば進むほど、必然性は増していきます。こればかりは避けられません。多分、昨年同様に私が実家住まいを続けていたら、私自身が崩壊していたでしょう。介護というのは側から見ている以上に重く厳しいものだ、ということを今更ながら実感しています。

以前の私でしたら誰にも相談できずに、抱え込んでしまったでしょう。包括センターとのご縁は、両親をデイケアに通わせるためにできたものでした。しかし、両親がデイケア通いを(わがままで)拒んだため、本来の目的とは異なりましたが、私が両親と距離を置くという発想は、私が包括センターの方と相談した中から出てきたもので、1人で考え込んでいたら、たどり着けなかったでしょう。

そもそも両親は、自分たちの両親を介護した経験はありません。これにボケが重なって自分たちが介護されているという自覚がありません。加えて年々わがままになってきています。その矛先がどこに向いてくるかというと、全部私に来るのです。これではこちらが持ちませんよね。

ひとり暮らしをはじめてからの私の生活は劇的に快適になりました。週6の通いが週2になりましたし、もともと洗濯と自炊は苦ではないため、問題にはなりませんでした。何より体力的にも精神的にも、そして懸念されていた経済的にも、実家にいた時よりはるかに楽になったのです。これは本当に意外なことでした。

やってみたらどうということはなかったのですが、踏み出すまでが本当に大変でした。でも今はこの生活を選んだ決断を間違っていないと思っています。

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