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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(5)私がワンピースをキライな10の理由その5

2018/03/14

話が長いワンピース

このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。

私の趣味には人に影響されていつの間にか好きになっていたものと、自分で興味をもって誰の影響もなく勝手に始めてしまったものとがあります。前者はプロレス、後者はマンガやアニメですね。でもまあプロレスを好きになって思ったのは入り口がどうであれ、好きになれたんだからよかったじゃないかってことなんです。もしかしたら嫌いになっていたかもしれないのですから、この出会いは極めて幸福なことだったと私は思っています。

で、ワンピースには一見さんが入りにくい要素として話が長いという点があります。これは私の嗜好に限らず、指摘されている事実で、実際現在の読者も一定数感じているように私は思います。私がワンピースに出会った時点ではすでに長編化がはじまっており、年を追うごとに物理的にもだんだん入りにくくなっていきました。

しかし、これはワンピースに限らず最近のヒットマンガ全体の傾向としてあるようで、私が近作をチェックしなくなった最大の要因でもあります。話が長いと、単行本で揃えても場所の確保が困難ですし、電子書籍やマンガ喫茶で読むにしても時間を取られるわけです。

 同調圧力に負けた?

私がそれでも渋々ワンピースを手にとって読もうとしたのは、それがたまたまいきつけだった整骨院にあり、待ち時間を埋めるには必要だったからという事情もありました。しかし結果は一巻途中で挫折し、現在に至っています。

あの時たくさんあるコミックスの中からワンピースを選んだのはなぜだろうと考えるに、当時の私が同調圧力に負けたんじゃないかという気がしてるんですね。同調圧力とは、地域共同体や職場などある特定の集団において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指します。

一見するとじゃあ、コミックスを手に取った時点での私は同調圧力に屈して、ワンピースを読もうとしたかのように思えます。しかし、ある時、私がワンピースに対する不快感をさも自分の外に原因があるかのように捉えていたことに間違いがあったのではないかと気づいたのです。

実は多数派のワンピースファンが私に「読んでみたら?」と勧めることはあっても、「読め」と圧力をかけてきた事実はないわけです。ですから周りがさも読まないとダメだというプレッシャーを与えているかのように思えているのは自分の中に問題があるのではないかと思いいたったんですね。

ではなぜ周りに合わせる必要があるのか?周りは周りであり、自分は自分なんだとなぜ言い切れないのか?いろいろ原因を考えてるみました。「自分の感性を信じられていない」「知らないとみんなの話題に入れない」「流行にのれない腹いせにワザと名作にケチつけている」などなど色んなワードが頭を飛び交いました。

確かにワンピースに毒吐きたい以上ケチをつけることが前提にあるのはいうまでもありません。しかしワンピースで盛り上がる皆の話題に入りたいかといえば決してそういうこともありません。かつて私には友達の輪に入りたい一心で好きでもなかった野球のルールを覚えて、無理やり好きになった過去があります。

結果的に野球は本当に好きになったものの、応援していた球団が消滅して以降10年、野球は見ていないのです。なくなってはじめて「やっぱり、自分は周りに合わせていたんだな」と気づくことができました。

 不快に感じているのは私自身

ましてやワンピースは私がプロにまでなりたいと恋い焦がれたマンガというジャンルの一作品なんです。やはりともにその魅力をシェアし、ともに語り合いたい気持ちは今もあります。しかし、私が自分の気持ちに蓋をして、人の趣味に合わせてワンピースを語ってしまったら、また自分に嘘をつくことになってしまうのです。

それはすなわち自分の感性を信じられていないということにほかなりません。それはどうしても避けたいし、我慢できないことでもありました。だったら非難を浴びてもいいから自分の気持ちを素直に吐き出してしまおうと心に決めました。そこで思い切って毒を吐くことにしたわけです。仮に本当に同調圧力とかいうものが存在し、それに私が屈したとしたら、

それは自分の問題が外にあるということを自分が認めてしまっていることにほかなりません。違います。ワンピースという存在を不快に感じているのは私自身です。私の中にある問題です。したがって問題を解決できるのは私しかいません。ほかの誰にもできないことなのです。ですから私はあえてアンチを公言し、自分の影響下になるべくワンピースをよせつけまいと決めました。これが私にできる小さいながらもできる抵抗だったのです。

ワンピース自体にうらみはありません。何度も言いますが、アンチが一定数いてそれ以上の大勢に支持されている、間違いなく日本を代表するマンガだと私は思っています。

 引き伸ばしはとても不幸な事

しかしあまりにワンピースが巨大になりすぎたため、個人で目をそらすだけでは解決できない影響力をもってしまったのもまた事実です。本来ならストーリーを決め、最終回の構想をもつのは原作者自身のはず。しかしここまで大きくなってしまった作品は、もはや作者や編集者の一存では終わらせることもままならないのが実情でしょう。

現実、否定はされていますが、ジャンプ作品に限らず多くのヒット作は一部の例外を除き、なかなか終わらせることが出来ません。それがいかなる大人の事情であったとしても、引き伸ばしは作品にとってもファンにとっても、とても不幸なことです。

実際引き伸ばしたことで、設定的にも無理のある大作はたくさん存在します。巻数で言ったら何十年とたっているのに物語の時間は止まったままとか。まあそれを逆手にとってネタに出来たりもするんで一概にネガティブな問題とは言い切れないのですけど、冒険活劇というのは小気味のよさも魅力の一つです。

ましてや宝物がいつまでたってもでてこないとなれば、だんだん読者もしびれを切らしてきます。事実ワンピース以外で私が持っている長編コミックスは、全部最後まで集めきったものがほとんどありません。それが何シリーズもあったらそれこそ倉庫を借りないといけなくなってしまいます。

コミックスを買えば置き場に困り、マンガ喫茶に行って読んでも一定の時間は確実に奪われる大長編、ワンピース。まあワンピースに限った話ではないですけど、大長編というのはもはやそれだけで敬遠される要素であるということは間違いないと思います。

もっともそれ以前に私がワンピースという刺激に反応している私の問題がたくさんあったので、仮に短いお話でもやはり手にとって読むことは今後もないでしょうね。

 

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