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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(206) 最終章「引き算の生き方」③

ダラダラ生きて面白いものを見ていく

長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。最近、SNSやブログなどの自己紹介において、私は最近「何もしない人」と表記しています。今回はその理由を説明しておきましょう。

緑内障検診に来るといつも思うんですが、自己犠牲の果てに人に尽くして失明するのと、役立たずでもダラダラ生きて面白いものを見ていくんなら、断然後者の人生を生きたいと私は考えています。

そもそも世間的には定年意識する歳だし、年金生活もカウントダウンが始まっているんだから、私には至極当然のことなんですね。今まで足し算の人生を生きてきて、確かにスキルアップもしました。少なくとも30代の時より50代の今の方ができることもたくさんあります。それによってもとめられることも増えました。

ただ、もとめられはするんですけど、リクエストに応じるだけの生き方がだんだんしっくり来なくなってきたのです。今では、人の役に立つことには一切興味がなくなりました。むしろ一銭の役にも立たない、他人にとっては時間の無駄でしかないことの方しか興味が湧かないのです。

私は私が楽しければそれでいい

今まではどちらかといえば、人に喜んでもらうことが、私の喜びでした。しかしこれはある意味、私の喜びを他人の価値基準に委ねてしまうということでもあります

基本的に過去と他人は変えられないものだとするならば、あなたが喜ぶかどうかは、あなたにしかわからないことになります。まあ、こんな身もふたもないもないことを言っちゃうと、多くのサービス業は成り立たなくなるのも事実です。ですが現実的に、サービス業従事者は超能力者のようなレベルのスキルを、会社からもお客さんからも要求されているのが実情です。

ぶっちゃけ、私はそんなサービス業を20年も続けてきたおかげで、心身を病む結果になりました。本当は「20年もやったし、もうあきたからやめる」と放り投げればよかったのです。

結果的に相手が私をどう思うかはその人の問題。私は私が楽しければそれでいいわけなんです。にも関わらず、人の喜ぶ顔をみたいという自己満足のために、自分自身の身を削る生き方を、私はおススメできません。

まとめると、

①自分のした事で相手が喜ぶかどうかは、相手にしかわからない
②相手が喜ぶことと自分の喜びはイコールになるとは限らない
③最終的に相手の喜びと自分の喜びを天秤にかけるならば、自分の喜びを優先させる

というのが、現時点で私が思っていることです。

さて、冒頭の「何もしない人」の話に戻りますが、私は以上のように「人に喜んでもらうため」だけには「何もしない」し、したくもありません。

しかし、他人に価値基準を委ねずに「自分がしたい事」ならば、やる気はあります。今のところ私が好きな事を、近い価値基準の人たちに伝えていく「伝道師」みたいな役割がしっくりくるかな、と考えています。ブログというのは、そういう意味では一番自分のやりたいことが表現できているツールのひとつなんじゃないでしょうかね。

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