怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(189) 自分の問題と向き合うための10の闘い(89) 残された時間⑨
憧れる昼行燈
昼行燈という言葉があります。日中にともっている行灯のようにぼんやりとしている人や、役に立たない人のことを指します。
しかしながら、物語的に昼行燈キャラというのは、一般的には「裏の顔」を持つケースが多くあります。有名な水戸黄門も「ご隠居」という昼行燈の顔と、「副将軍」という裏の顔を使い分けるキャラクターです。これをもっと先鋭化させたのが、必殺シリーズの「中村主水」で、剣の達人という裏の顔を、家族にも見せないで昼行燈キャラを貫いています。このテンプレートは、中村主水こと藤田まことさんが亡くなった後も、後続のシリーズに受け継がれています。
私は、独りで静かにしていることが好きなので、「自分ができることアピール」を人前ですることはあまり好きではありません。これは教室で絵を描いていたら、同級生にいじめられたという過去があるため、ことさら人前で自分のスキルをアピールしなくなったという経緯もあるのですが、同時にどこかで物語の「昼行燈」キャラにあこがれがあるのです。
面倒くさい自己紹介
幸か不幸か、自分のスキルを磨き続けてきたおかげで、「裏の顔」は結構理想に近い状態になっていますが、この抜かずの刀をどこでどう見せるかという点においては、いろいろ工夫をしたいなとも思うようになってきました。
なぜかというと、例えば水戸黄門では印籠を見せる役割の助さん・格さんがいて、「裏のスキル」が明らかになりますし、必殺では「裏稼業」で腕を振るうことで「視聴者」には「実はすごい人」という認識を植え付けることができるのですが、現実の世界では、裏稼業は犯罪ですし、印籠を見せる助・格さん的な人物は存在しません。
強いて言うなら、印籠をみせる役割になるのは「プロデューサー」という職種になると私は思います。しかし、自分でスキルを上手に相手に伝えられる人は別として、大概の人は自分をどうアピールしたらいいのか、困ったことがあるのではないかと思います。
正直、前職を退職してからこっち、様々な肩書を名乗ってきましたが、最近はこの自己紹介がめんどくさくなってきています。人に紹介してもらうのも微妙に違う気がすることが多いし、かといって、これぞという形でうまく人に説明もできないので、何者でもないことにしているのです。
何者かを語る煩わしさ
本当は表の顔があった方が便利っちゃ便利で、それがあるから裏の顔も引き立つとは思うのですが、正直抜かずの刀をいちいち説明するのがおっくうで仕方ないのです。それでやらないといけない仕事が増えて、結果自由が束縛されるとなると、これはもう本末転倒です。
ところが、日本というのはいまだ何かの肩書がないと、なかなかスムーズにコミュニケーションができない不便さもある社会です。本当は何物でもない自分が受け入れられている感覚が一番心地いいのですが、それが許される社会になっていくといいのになあと思っています。
今のところ、私を自由に泳がせてくれているのはプロレス界だけです。一応他の人からは「辛口観戦記書き」という認識で観られてはいますが、基本プロレスコミュニティーでは仕事の話をしなくていいので、個人的には非常に楽でいられるのです。
今後残された時間を使って、プロレスコミュニティー以外にも、そうした心地よさを広げていけたら、たぶん「自分が何者かを語る煩わしさ」からは解放されていくのではないかと思っています。相当時間はかかると思いますけどね。