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それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ

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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーショガイド研究所所長の体験談ブログ(58) 私がお金をキライな10の理由(8)

「もし三千万円あったらあなたは何に使いますか?」

これはとある講座で講師の先生から投げかけられた質問です。さて、あなたならどう答えますか?

私は立場によって答えが変わるんですね。例えばアニメオタクとしては、自分のキャラクターデザインの短編アニメ作りたいし、プロレスオタクとしてなら、プロレス資料館を作りたいし…でももとは1人の人間なんで、三千万じゃ足らないですね。しかし、足らないから足すだけでは、多分永遠に私は満たされない感じがするんですよ。で、あるならば、更に自分はどうしたいのか?を突き詰める必要があるのかもしれません。

それはなぜか?というと、アニメを作る、資料館を作る、だけだと、作って完成したらそこがゴールになってしまいます。しかしこれではあまりに刹那的すぎます。完成してからどうしたいのかという「終わり」が思い描けていない、ここが問題なんですね。

漠然とプロのカウンセラーになりたいと考えていた時もそうでした。カウンセラーになってからどうしたいのか?全く「終わり」が思い描けていませんでした。なんとなく「こうしたい」という青写真はありましたが、あまりにフワフワしていて、極めてあやふやでした。ですから、「カウンセラーです」と人様から紹介されても何か自分のことじゃない感じもしていたし、「カウンセラーってどういうことをするの?」ときかれても、芯の部分がぼんやりしていて、自分でも「これだ」という説明ができませんでした。だからカウンセラーと呼ばれるたびにもやもやだけがたまっていったんですね。今思うと本当に「なんだ!そんなことかよ」というお話なんですが、もやもやの渦中にいると自分がやっていることが意外とみえてないものなのです。

さて、カウンセラーに比べるとまだ、オタクとして追っている夢の方がまだ具体的な形にはなっているんです。確かに完成してからどうしたいかを思い描けてはいないのですが、でも形になっているところから手繰り寄せていくと、カウンセリングよりは簡単に終わりが思い描ける気がするんですね。

今の私には心理や、カウンセリングの技術をシェアすることには猛烈な拒否反応があります。でも自分が蓄積してきたオタクとしてのスキルと、自分が見聞きしてきた体験は同じオタクや、こうしたサブカル界隈にいる人にシェアすることは全然いやではありません。ブログもその一環でやっていることなんですけど、それだけでは伝わらない部分を、自分が集めたものとか、体験を語って聞かせて多くの人と共有したいという願望はあります。そこを想い描くと、自分だけでなく、まわりの人も楽しくなっているイメージができるからで、ここに理想的な「終わり」が描けそうな気がしているのです。

そのついでにカウンセリングや心理学のノウハウを織り交ぜるのは構わないのです。でも心理学だけで話を組み立てようとすると私が飽きちゃうんですよね。いくらためになることでも自分が話していてつまらなかったら、伝わるものも伝わらない気もするんですよね。lose-winではやっても意味がないのです。ですからカウンセリングや心理学メインで、という話には自分から降りる決断をしました。できるけど面白くないものはできないのと同じなんです。ここが大切なところで、ここはどうしても譲れないのです。たとえ稼げるよ、といわれても嫌なものは続けられない、これは確固たり事実ですね。

そう考えていくとこのブログで毒突いていた対象って全部「終わり」が見えていないんですよね。ワンピースに関しては作者だけが終わりを想い描いているそうですけど、読者は作者ではないですからね。同じ終わりを想像しているとは限りません。まちおこしに関しても「終わり」の思い描けないものと、肉体的に負担がかかるものは自分から外していこうと思っていましたから、いいタイミングで距離をおけたと思っています。

「終わりを想い描く」という考えに思い至らないときは「とにかくなんでも挑戦してみること。やりもしないで文句をいうのはいけないことだ」みないな信念があって、まず「頭からできないとは思わない」ようにして、とりあえず片っ端から「体験」していきました。心理学もまちおこしも「体験」があったことで気づけたこともたくさんありましたから、やって無駄だったということはなかったんですね。だからこそ、これからは自分の足りていない穴埋めに、体験をつぎ込むのではなく、足りている部分から余計なものをそぎ落とす時期に来たのではないかと私は考えています。足していくだけでは自分のキャパもオーバーしちゃいますからね。いくら掃除が死ぬほど嫌いでものをため込むのが大好きな私であっても、やはり棚卸の必要があったということですね。断っておきますが、掃除はしたくないだけで、できないのではないのです。ですから、今回自分の限られた時間の中から、キャパオーバーしそうなものをそぎ落とした結果、まだ不完全ながら、カウンセリングでは思い描けなかった「終わり」が見えてきたので、この結果を踏まえてしばらくは自分の心の中でいらないものを、落としていく作業を続けたいと思っています。

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