怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(166) 自分の問題と向き合うための10の闘い(56) 50にして知る天命とは何か?⑥
老いらくの恋は果たして成り立つかどうか?
今回は恋愛の話をします。
老いらくの恋という言葉があります。これはデジタル大辞泉によると、
年老いてからの恋愛。昭和23年(1948)、68歳の歌人川田順が弟子と恋愛、家出し、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから生まれた語。
とあります。昭和23年ですから、意外と新しい言葉なんですね。とは言え、年齢差のあるカップルは今でも奇異に見られる傾向は、こと日本においては現存しているように思われます。
とはいえ、平成も終わりを迎えつつある現代では、晩婚化も進み、年齢差婚も増えていくのかもしれません。そもそも68歳が墓場に近い年齢かどうかも微妙なところです。
しかしながら、やはり同年齢や世代の近い方が婚活では好まれる傾向にはあるようです。まあ、自分が両親くらいの年齢の方とつきあえるかと言われたら、まず無理ですから、わからないではありません。
もともと私がモテていた体験など皆無なので、いまの年齢でフラれたところで、ゼロにいくらかけてもゼロになるだけです。これから爆発的なモテ期がくるなんてこともまず信じ難いし、年齢という条件でまず関門すらクリアできないのであれば、どうしても恋愛や婚活には臆病にもなります。
当たって砕けた先には・・・
当たって砕けても私の人生は、何一つ変わりはしないのですが、砕けた先にはダメージを追って傷ついた自分がいるのもまた事実なのです。成功体験がない分、恋愛や結婚にポジティブなイメージも持ちにくいわけです。
いくら辛酸をなめた経験値が人生の財産になるのだとしても、やはり辛いばかりが人生ならば、ネガティブな考え方に陥りがちだし、自分にも自信が持ちにくくなるものです。
ところが、いくら付き合おうが結婚しようが、2人の寿命が共につきることもまたないわけです。なぜか、私には、共に同じタイミングで亡くなると信じている人って多いように感じられてなりません。
やはり死別というのも選択肢に入れるならば、ある程度個々が独立した精神性がある方が楽かな、とも思います。2人でずっといないとダメなのであれば、その関係性は限りなく依存に近いものになり、独立性は失われてしまいます。
独立性を可能な限り失わない中で、お互いが心の支えになりあえる関係が理想かな、とも私は考えています。
そこに年齢差とか経験値の差とかはあまり意味がない…かもしれないですね(笑)