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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(165) 自分の問題と向き合うための10の闘い(55) 50にして知る天命とは何か?⑤

自分は本当に生きていていいのか?

今回は自分が本当に生きていていいのかどうかという話をします。私個人は今一つピンときていないのですが、世間的には「生かされている」という表現があります。要はだれしも生まれてきたからには何かしらの意味があって、それが継続しているという事にも、何かしらの意味があるという考え方だと、私は解釈しています。

しかしながら、この意味が確固たるものでない、もしくはその意味を探している最中だと、たとえば私が免許証等カード一式をなくしてしまったときのように、ネガティブなことがおこり出すと、「果たして自分は生きていてもいいんだろうか?」とふと疑問をもってしまうこともあるわけです。

単にモノをなくしただけなら、自分の不覚ですむ話なんですが、その前に伯母がなくなり、自分の老いや余生を考えていたタイミングで、ネガティブな出来事が重なるとついついこんな考え方になりがちです。

そして自分が承認されている実感も今のところとても薄いので、なんとなく得体のしれない孤独感を感じてモヤモヤしてしまうのです。

「いやいや、ネガティブな考え方はよくないから、ポジティブシンキングにならないと」と無理やり空元気に切り替えるのも、一つのやり方ですが、これだけだと、私はなんとなく片手落ちな気がしてならないのです。

むしろ自分の内面と向き合うことが大切なことは今まで散々学んできたはずです。自分がなぜネガティブな考え方に引き摺られているのか?今の自分が本当はどうしたいのか?

じっくりと向き合った上で、「じゃ、ポジティブシンキングでいこう」と自分が決断できたならそれはOKだと私はおもいます。自分自身と向かい合いもしないで、闇雲にポジティブになるのを、私はよしとしません。

思い当たる節とは・・・?

では、このタイミングでなぜネガティブなことが起きるのか?色々身の回りのことをもう一度きちんと振り返ってみました。忙殺されて雑になっていたことはないか?忙しさにかまけて、しっかり休養を取っていないのではないか?などなど「思い当たる節」は一杯でてきました。

散々学んで腹落ちさせてきたはずのことでも、振り返ると意外とできていないものです。

カード一式をなくした日も朝から軽い頭痛を感じていたので、午前中は睡眠を取って出かけたのですが、それも今にして思えば、前日に休みを取るとか方法はいくらでもあったはずなんですね。

とはいえ、お仕事は、休みたい時に休めないかもしれないので、普段からの働き方や自分自身のコンディション調整には今以上に気を配るべきでしたね。これは今回の大いなる反省点でした。

もともと長い間私は私の人生の主役であるという感覚なしで生きてきました。意味づけとかは正直、自分自身と向き合うというより、無理くり考え出して、強引に自分を納得させてきました。

だから、まだまだ自分を大切にするよりは、自分に厳しくなりがちな生き方を、いかにして緩めていけるか。

なおかつ緩めすぎず、締め付けすぎずというのが理想ではあります。言ってしまえば、自分に厳しくするのも、甘やかすのも、やれば一番簡単なんです。でも、「ほどほど」というのが一番難しいのです。

人生の意味について突き詰めすぎた時は、自分自身のコントロールについて、厳しすぎてはいないか?あるいは甘やかしすぎてはいないか、その見極めがしていけるといいかな、と最近の私は思っているのです。








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