怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(136) 自分の問題と向き合うための10の闘い(26) 働かざるもの食うべからず⑥
久々にヨガ話からはじめますが、実は自分の呼吸って浅かったんだなあ、と最近しみじみ感じています。
ヨガ始めて二ヶ月で結構自分の呼吸だけでなく、いろんなところが変わり始めています。自分でわかる変化が確認できると楽しいですね。
ところで、ヨガや心理学講座、はたまた秘密基地の部屋代まで実際どうやって払っているのか?たまに聞かれます。働かないくせにお金どうしているんだ?って話ですよね。
実は私も不思議に思っているんですが、やりたいことやり始めたら、その分くらいの代金は奇妙なくらい、やりくりできてしまうんですね。
もしやりくり出来なくなったら、それが潮時だと思って諦めることにしています。今のところ心理学講座がそうした形で事実上「卒業」という形になっています。
ですが、プロレスの資金や、交通費、秘密基地の部屋代などは今のところ途切れずにきています。
むしろ、寸暇を惜しんで働いていた時の方がお金に困窮していた気が私にはしています。今思うと呼吸も浅かったし、ため息ばかりついていて、それを指摘されていたなあ、とふと思い出してしまいました。
呼吸が変わるというのは、思いの外大きなことらしく、長い間口呼吸で過ごしてきたわたしが最近気づくと鼻呼吸ができていたりするんですね。
鼻呼吸ができると自然と深い呼吸に結びつくようで、身体の隅々が緩んでいくのを感じます。今までは何処かしら身体に力の入った状態になっているため、何をやるにしても上手くいかないことが多かったように思います。
遮二無二に仕事にありつこうとがっついている時も同じでしたね。やはり無駄な力ばかり入っていて、緩むということができていないため、本来の力が発揮できずにいたように思います。
今は仕事にありつきたいというより、自分のしたいことをするためにだけお金があればいいかな、と思っています。その方が無駄な力が入らずに、自分でも満足のいくパフォーマンスができているように感じています。
あ、そうそう。とりあえず週に一度必ず外食をしようと、今年から「プチ贅沢」をはじめてみたのですが、これも自分を「緩める」には効果的でしたね。
今までは欲しいものを買うために食べることを我慢するということを繰り返してきたんですが、我慢していた頃と、今とを比べてるみたら、食べたいものを食べて、したいことをしている今の方が圧倒的に楽しくて、なおかつ我慢していた頃とあまり生活レベルも変わっていなかったのです。
私個人には、働かざるもの食うべからず、という言葉って「自己責任論」にも結びつきやすいような感覚が強くあります。働けない自己責任として食えない=生きていてはいけない、ということだとするならば、命は等しく平等であるとはとても言えないでしょう。
ましてや、今は働けていても、いついかなる場合に無職になるか、誰にもわからないのが今の世の中です。だとしたら、これを読んでいるあなたも明日にはもしかすると「食うべからず」という烙印を押されかねません。
明日の身分が保証されていない今だからこそ、今この瞬間をしっかり生きることを続けていく必要があると私は思います。今この瞬間が楽しくなければその先の未来が楽しくなるはずもないからです。