怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(129) 自分の問題と向き合うための10の闘い(19) 死にたい感覚⑨
私はゲームやギャンブルがキライなんで、その手の話すら乗らない人間です。昭和の時代はノリが悪いとか付き合い悪いとかよく言われたものですが、今はそういうことも言われなくなりました。ある意味ありがたい時代になりましたね。
今にして思うと、私はお金に対しても嫌悪感が強かったですし、勝った負けたにはなお興味がわきませんでした。興味がわからないから、勝った負けたにスリルを感じる人の気持ちが理解できないし、理解する気もありません。
無関心、無反応なんですから、面白いという感覚にはならないのです。
そもそも死にたい人間がスリルなんか味わいたいとは思わないんですよね。スリルっていうのはいきている前提で味わうものですし、何より命が大事だから感じられるものではないか、と私は思います。
仮にスリリングな場面やキモを冷やす場面に遭遇しても、心臓がバクバクするなんてことはまずないです。きもが座る…というより無反応に近い感じです。何とも思わないんですよね。だから、一歩間違えば死に直結する交通事故も度々おこしています。
今にして思えばよく死ななかったなあ、と思うくらい乗っていた車は大破してぐしゃぐしゃになっていました。しかし、ドライバーの私はせいぜい鼻血レベルですんでいました。
しかし経済的にも精神的にも多大な負担を払いながらなお、なかなかスピードの出し過ぎ運転は改まりませんでした。
結局4年4カ月に及ぶカウンセリングでやっと優良ドライバーにうまれかわりましたが、それでも反則切符が切られなくなるまでは更に時間がかかりました。
私は、スピード狂の人ってスリルを味わいたいからスピードを出して運転するわけではなくて、単純に何ともおもわないで自分を危険にさらしてしまうんではないかと想像しています。命を自分を何より大事に考えるなら、安全重視になるはずですからね。
あなたが仮に制限速度を守らないドライバーだとしましょうか。そんなあなたは、もしかしたらスリルとスピードが直結している方かもしれません。しかし、死亡事故を起こすドライバーの全ては必ずしもそうとは限らないのではないでしょうか。私はどうしても、スリルを味わうためにスピードを出すという説には「それだけか?」と疑問を挟まずにはいられないのです。