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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(130) 自分の問題と向き合うための10の闘い(20) 死にたい感覚⑩

2017/05/18

死にたい感覚が強すぎると、快楽が非常に刹那的になるんじゃないか、と私は思います。

あなたなら、刹那的な快楽でも快楽として受け入れるでしょうか?それとも、別な選択肢を選ぶでしょうか?

刹那的な快楽というのは、「心のドーピング」ではないかと、私は思っています。クスリの効き目が切れると禁断症状が出るので、新たなクスリを打ちます。しかし、効果は限定的なので、すぐに禁断症状に苦しめられます。こうして刹那的快楽というドーピングを打ち続けないと生きていけなくなるわけです。これは健全な生き方とは呼べないでしょう。どちらかというと「死にたい感覚」に引き摺られた生き方かもしれないと私は思います。

あなたは、心のドーピングを打ち続けてまで、快楽の中で生きたいと思いますか?

これは私の実体験ですが、プロレスが大好きな私は、一時期毎週のように大阪に通ってプロレスをみていました。なぜ大阪か?というと、当時の仕事が休みの日に、大会を開いている場所の大半がたまたま大阪だったからです。

休みの日の私の1日のスケジュールはこうでした。

①朝一の新幹線で下関から新大阪へ。
②新大阪から梅田経由で宝塚へ。
③宝塚の手塚治虫記念館で漫画を貪り読む。
④時間が来たら梅田経由で、難波へ移動。
⑤大阪府立体育会館でプロレス観戦。
⓺観戦後、友人たちと食事。
⓻梅田発の寝台で下関まで帰り、車中で着替えて出勤。

というルーティンワークを「毎週」やっていました。これだと確かに毎日が楽しくて楽しくて仕方ないのですが、こんなことを続けていては、身体は決して休まりません。

当時の私はまだ若かったですから、仕事も遊びもバリバリこなせるつもりでいましたが、そのツケは想像以上に大きく、私は身体を壊し、退職を余儀なくされました。

そして、私は未だに懲りずにプロレスを観続けています。しかし、若い頃と決定的に違うのは、「明日死んでも後悔ない」つもりで日々を過ごしていないことです。

ですから、今は昔の様に、あらん限りに予定を詰め込むことはしていません。観戦に行けない時は素直に行かない選択肢も選んでいます。

具体的に言うと、2016年末には、人間ドックを優先して、プロレスは観に行きませんでした。これは20代の私からしたら信じらない出来事でしょう。

それでも4〜5年前なら2つの予定を「両立」させるべく苦心惨憺したことでしょう。実際そうしたこともありました。

しかし、今は迷わずに自分の身体も大事にするし、観に行ける時はプロレスも大事に観ています。無理して両得を得ようと欲張った結果、自分にとってよりよい成果が得られた試しは殆どないわけです。それを身にしみて理解しているからこそ、自分にとってのベストな選択を選ぶようになっていけているわけです。

だとしたら、今こうしていられるのは、死にたい感覚が緩まりつつある証拠ではないか、と私は思っています。











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