怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(127) 自分の問題と向き合うための10の闘い(17) 死にたい感覚⑦
私はつい最近まで人にものを頼んだり、SOSを出したりすることができない人間でした。しかし、よくよく考えてみたら当然の話でもありました。それはなぜかというと
①もともと死にたい人間だったから
②いじめを受けたことで他人が信用できなかったから
③自分のことは自分で何とかしないといけないと思いこんでいたから
①は、困り果てて、そのまま放っておけば死ねるかもしれないわけですから、助けなんか求める必要はないのです。助かったら、生きながらえるのですから、それは当時の私としては本意ではありませんでした。
②は、そもそもSOSを出す対象を私が信用できなかったら、「助けて!」とはいえないわけです。事実は異なっていても、相手がわたしに危害を加えるかもしれない、と想像するだけで、もう無理ですよね。
ですから、私は街中を歩く時も常に身体を硬くして身構えるようにしていました。いつ何時おそわれてもいいように、です。そうすることで自分の安全が保障されると私は思いこんでいました。ですが、現実はそうして身構えていた時の方がむしろ面倒ごとを引き寄せていたような気がしているのです。
今は割と力を抜いてリラックスした状態で歩くようにしていますが、事実は私の身には何もおこりません。構えていようがいまいがあまり変わりはなかったのです。
そして③が一番ややこしいのですが、「人に迷惑をかけてはいけない」という親の教えが染み付いているため、他人に助けを求められないという問題があるわけです。
だからといって、人に迷惑をかけてよいわけでもありません。親の教えを過度に取り入れた私の側に問題があるのは明白です。要は私が変わることができたら、問題は解決するのです。
しかし、それが分かっていながら、なかなか変わることができないので「ややこしい」と表現したわけですね。私が特に苦労したのは、身体の力をぬくことでしたから、それまでは何らかの形で身体に負荷をかけまくっていたのです。しかもそれが習慣として身についてしまっていたため、いざ変えるにしてもなかなか変えようがなかったのです。
実際は人が人に絶対に迷惑をかけないで生き続けることは不可能です。ですから人に迷惑をかける、かけないは程度問題なんですよね。そもそも私のように信念として「人に迷惑をかけてはいけない」という教えが染み付いている場合、信念自体を変えてしまうのはかなり難しいし、骨も折れます。ある意味不可能といってもいいのです。
ですから、私はある時期から信念をかえる事よりは、信念そのものを緩めたり強めたりしながら、生きていくことにしました。すると「変化」を「変わらねばならない」ものから、「変わっても変わらなくてもいい」というものに変化したのです。こうすることで、やっと自分が楽になれたような気がしたのでした。