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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(126) 自分の問題と向き合うための10の闘い(16) 死にたい感覚⑥

私にはいじめられた体験があります。

いじめられた体験は私にとって、生きる糧にはなりました。しかし、それは自己肯定感がないまま生き続けることになったため、ものすごくキツイことでもありました。

やがて、いじめっ子に復讐するという目的が、卒業などで、物理的に叶わなくと、生きるためには別な目標を探す必要がありました。それが私にとってはプロレスだったり、アニメだったり、映画だったりしたわけです。

しかし、ここで私は新しい「敵」に出会います。それが世間でした。単純に好きなことをしているだけなのに、迫害される不条理。それは私が新しくみつけた復讐のターゲットでもありました。

昔はオタク趣味と呼ばれるものは、一定の年齢を経たら卒業しなければならないものでした。今から考えると随分バカバカしい話ですが、つい10数年前でもそうした考え方が支配的でした。だから私は「卒業」を強制されて、ソフビ人形やカード類をダンボール箱に入れられ、あけることを許されませんでした。こうした背景には根強い「子どもは大人になるもの」という固定観念があったわけです。

典型的な例が、宮崎勤事件を巡る一連の報道姿勢でしょう。宮崎勤事件とは…

宮崎勤事件=正式には、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(とうきょう・さいたま れんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)。1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女を対象とした一連の事件である。

警察庁公式名称は「警察庁広域重要指定117号事件」。『現代用語の基礎知識』には「連続幼女誘拐殺人事件」の名で掲載された。

Wikipediaより引用)

たまたま宮崎勤死刑囚の部屋にあった数本のアニメビデオから、報道がそこだけを切り取って恣意的な伝え方をしたことも手伝って、世間のオタクバッシングはかなり厳しいものになりました。実は今現在もなりを潜めているだけで、潜在的なオタク差別は存在しているのですが、そうした空気に敏感になり、空気を読まざるを得ないオタクたちは、世間からバッシングされないために、自らを律していく方向に舵を切り始めていきます。

こうして人に迷惑をかけない、人から後ろ指を指されない現在のオタク像が完成していくわけですが、あまりにルールを細かく作りすぎたために、今度は本来自由であるはずの趣味の世界が非常に窮屈で不寛容なものになってきました。

昨今、マスコミが声高に「不寛容、不寛容」と繰り返す論調には、私は全く同意できません。が、自ら作り出したルールでがんじがらめになり、少しでもルール違反を起こせばこぞって叩く。あるいは、極端な話、自分と同じ価値観、同じ認識にないものは徹底的に排除しようとする趣味人たちの姿からは、私は哀しみすら感じるのです。

本当は趣味の世界を自由に生きるユートピア実現のために決断してきたはずのルールが、結果的にデストピアを生み出してしまったように、わたしには見えて仕方ないのです。それはあまりに切なすぎます。

私個人は生きづらさを手放して自由になることでデストピアからの縛りから解放されつつあります。やはり生きるならデストピアよりユートピアを目指したいものです。しかし、それは他人を変えることでは決して手に入らないことは自覚すべきだと私は思っています。











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