怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(121) 自分の問題と向き合うための10の闘い(11) 死にたい感覚①
2017/04/13
今回から私が闘うテーマは「死にたい感覚」です。
カウンセリングを受け続けて、だいぶんその感覚はやわらいできましたが、それでも長年の習慣で、身体の方には死にたい感覚が未だにしみついています。
精神的に生きる方向に向かっていっても、長年肉体に染みついた感覚はそう簡単には抜け落ちてくれないものです。もともと死にたい人間が何かの間違いで生き続けてしまったために、生きにくさという点で言うと、身体がきしみ、ついには全く動かなくなるところまで自分を追い込んでしまいました。
そもそもなぜ死にたかったのか?もちろん原因は一つだけではありませんでした。自己肯定感の低さ、まわりからの無関心、いじめ、親の影響、自分自身がかけ続けた負荷・・・あげ出していくとキリがないですね。そのひとつひとつを時間をかけて丁寧に向かい合って現在に至っています。そりゃもう、嫌になるくらい自分の恥部を見続けてきました。そしてそのひとつひとつを認めてきたのです。それが私のいうところの「闘い」なのです。
よく「人は生かされているのだから、感謝しなくては」とかいう人がいるのですが、有無を言わさず殴りたくなりますね。「こんな形で生かされるくらいなら楽に死んだ方がどれだけよかったか」と思ったことは一度や二度ではありません。
しかし、それでも「生きよう」と決断しなおした以上は、苦しい過去はさておき、今現在の自分をいかにして楽にしていくかということを考えないといけません。でないと永遠に明るい未来が見えないままになってしまいます。それでいいはずがないですよね。
ですが、死にたい感覚と闘うというのは、自分が望む方向と真逆なことをするわけで、今までとそう変わらない生活をしていくことでもあります。当然きついことには違いないのです。ただし今までと違うのは、自分が意識してあえて死にたい感覚と対峙していることで、これは覚悟を決めて臨んでいます。
当然ですが、同伴者などいません。まあ全くいないわけではないのですが、最終的に自分の問題を解決できるのは自分だけだと思っているので、これはとても孤独な闘いになります。それでも、そうまでしても生き直したいのは、過去をやり直すよりも今現在をどうにかしていく方がはるかに建設的で楽だからです。よしんば過去に戻ることができたとしても、そのあまりの問題の多さに、やりなおすことをあきらめてしまいそうなくらい、私の人生は自分でも面倒くさいですしね。
同じやり直すんだったら今現在をよりよい方向に向かっていった方がよほどましです。そういう意味では死にたい感覚を、今以上に和らげていくことこそが私の中では最も大切なミッションになっているのだと思っています。