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2017/01/25

これまでも私は今まで他人をあてにして生きてきませんでした。私以外の誰かは皆私に危害を加えるから、という思い込みがあったからです。しかし、実は危害を加えるという思い込みが外れた今もそんなに他人をあてにはしていません。では以前とは何が変わっているのか?今回はそのお話をしたいと思います。

かつての私は、他人をあてにしていませんでした。もう少し正確に言うと自分自身でさえもあてにしていませんでした。自分を守ろうともしてないから、もちろん自分自身を信用もできませんし、自分以上に信用できない他人は、必要以上に遠ざけてしまっていたのです。他人が近づかなければ、自分には害がない…これも実は思い込みで、本当は自分も自分に害なす人間の一人だったことに気づいていなかったのです。

では自分が自分に害なすとはどういうことなのでしょうか?具体的には私が「死にたい人」だったことが大きかったのです。自分の生命を危険にさらす自分という人物が常に身近にいて、自分の命を狙っているのですから、そりゃ心が休まるはずもないですよね。自分がそんなだと、自分以上に得体の知れない他人は本当に何をするかわかりません。これって怖いですよね。だから他人も信用できなかったのです。

この死にたい自分をまず自分の最大の味方にすることが当面の使命でした。しかし、そもそも生きることとは真反対なベクトルを向いて生きてきたので、これを生きる方向に切り替えるのがまず大変でした。そのうえで自分の価値をわからせ、自分のことを生きる価値のある人間なんだと認識させないといけませんでした。その作業は本当に砂を一粒一粒積み重ねて城を築くような感じで、途方もない手間がかかりました。いつ果てるともわからないし、ゴールも見えない中で、辛抱強く取り組んだ結果、現在やっと自分のことを生きる価値のある人間として認められるようになりました。ここでやっと自分が自分の味方になったので、まだ正直いうとこの感覚を手に入れてからはそう時間がたっていません。

で、この自分が自分の最大の味方になっている感覚を手に入れたことで、第三者に多くを期待しなくても済むようになったのです。今までは自分に足りないものを誰かに埋めてもらおうと必死でもがいていました。でも他人と自分は違う人間です。自分の期待通りに他人が動いてくれるわけではありません。それでも自分の意のままに他人を動かそうとするから、諍いになっていくんですよね。他人は自分の思う通りには動きませんし、私やあなたの期待なんか正直しったことではないのです。だったらそんな他人に期待しても仕方ないですよね。たまたまあなたの期待に沿うことを他人がしてくれたらそれはもうけものでしょう。そこはやはり可能な限り感謝してもいいと思います。
たまたまにしろ、自分の欲求を満たしてくれたこと、もうそれは奇蹟のようなものです。そもそも存在自体が全く違う人間がそこまでしてくれたのですからね。それを当たり前だとか、当然のこととして感謝一つしないのでは、いずれそうした奇跡も起こらなくなってくるでしょう。

私は他人を当てにしていないからこそ、たまたまでも意に沿うことをしてくれた方には、全力で感謝しようと思っています。そしてできることなら恩恵をあずかりたいので、自分がこういうことをしてもらったらうれしんだということも発信していこうと思っています。これ次の段階として私が課題にしたいところなのです。

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