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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(76) 私が古事記をキライな10の理由(6)

2017/01/25

私は今自分発信のイベントや講座を立ち上げています。やりはじめて気づいたこと、それは、自分のファンを作るってこういうことだったんだな、ということでした。

今まで私は自分で立ち上げてないイベントにたくさん参加してきました。それは人脈を作るためでもありましたが、今思うと自分のファン作りの仕組みを知りたかったのかな、とも思います。なぜそう思うのか?なぜかこれまで私は自分に対して興味を抱いてくれそうにない人ばかりをターゲットにして、ファンにさせようとしていたんですね。それに対してふと疑問を抱いたからなんです。

冷静になって考えると、「ファンにさせる」というのは他人を変える行為でもあるし、無駄な努力なんですよね。それを知っていながら、同じパターンを繰り返していたというのは我ながら愚かしいなと思います。実際やってみたらファンでない人を振り向かせるより、自分のファンを作る方が遥かに楽だったんです。

しかし、自分のファンを作る前にしないといけないことがあって、それは自分が自分の一番のファンになることなんです。自己肯定感が低いと、「どうせ自分なんか好きになる人はいない」と自己卑下をはじめてしまいます。自己卑下だけならいいんですが、卑下しすぎて信念にまでなってしまうとこれはもう軽くしていくのは困難です。ファンなんて作れっこないというところまでいってしまうと、逆転するのは極めて難しくなります。私の場合は、ファンを作るよりむしろ嫌われてやろうと思ったことがきっかけで結果的にファンができる仕組みを今頃になって薄々理解し始めたところですが、嫌われることをおそれなくなると、苦手な人に対するイメージもどんどん軽くなっていたんです。まあ同じような場所に出入りしていると、苦手にしている人と顔を合わせる確率は0にはならないのですが、だからこそ、自分の中にある苦手意識は軽くしておくものだなというのを最近は痛感しています。おかげで顔をみると今でも腹は立ちますが、一時的に腹が立つだけで不快な感情は引き摺らなくなりました。

さて、この間ぐだぐだしゃべっていた時に気が付いたのですが、私はやはり押し付け感があったり、個が全体のために犠牲になりそうな空気を感じると、途端に反発するか、不快な感情を抱くんですね。

ですから天の岩戸に閉じこもった天照を自由にさせないで公務の場に引っ張り出した?エピソードって実はあまり好きではないのです。確かに日をつかさどる神様がいないと世の中真っ暗ですから、対策を立ててどうにかしないといけないのは事実なんですが、でも日夜公務に縛られていると神様だっていやになるわけです。そのくらいの自由はあってもいいじゃないかと私は思うんですよね。嫌になっても自分がしたいと思ったらできる自由。それは少なくとも松江の親戚たちには一切ないものでした。だから松江に行くたびに苦痛な思いを感じていたのです。

そこから行くと今は本当に自由にさせてもらえてますね。ありがたい話です。

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