怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーショガイド研究所所長の体験談ブログ(70)私が「今すぐ」をキライな10の理由 (10)
今すぐという感覚は得てして決断を迫られる時に現れる気が私にはします。もっというと考える余地がなく、なおかつ急かされるイメージですね。あなたはどう思われますか?
もしかすると思慮深いあなたは「自分が考えすぎているのが悪いんだろうか?」とお思いになられたかもしれません。しかし、大事なことには熟考する時間もまた必要なはずです。考えすぎはよくないですが、即断即決ばかりだと、無鉄砲とも言い換えられます。ほどよい「今すぐ」ならば、さほど不快感はないと私は思います。
しかし、「今すぐ」と言われてあなたがもしなんらかモヤモヤしたものを感じたとしたら、あなたの中に何らかの不快感情が隠れているかもしれません。それはきっとあなたに「今は決断すべき時ではない」というメッセージを発信している証かもしれないのです。それをなかったことにしてしまうと、考えが足らずに失敗したり、後々大きな問題になったりしかねないのです。無意識化でおきる抵抗というのは決して軽く見てはならないと私は思っています。なぜなら、それらのメッセージをことごとくなかったことにしてしまったばっかりに、二年間の寝たきり生活を余儀なくされたのですから。いくら後悔しても過ぎ去った二年間は戻ってきません。それは悔やんでも悔やみきれない時間でもあります。
「今すぐ」にはまた、自分を差し置いて周りに合わせなければならない時にも顔をだしがちです。「皆は既に決断しているのに、お前だけいつまでも決められないなんて」「お前が決めないと皆が迷惑するをだよ」という同調圧力がかかり出すと、もうこれは「今すぐ決めないとマズイ」とあなたが焦りだしたとしても決して不思議ではありません。
聖徳太子が定めたとされる十七条の憲法には「和をもって尊しとなす」という一文があります。和はたしかに大切な概念ですけど、過度に働けば同調圧力のようなよくない結果にもなりかねません。
私の場合、まだ和に対してはネガテイブなイメージの方を強くもっています。それはやはり個の調和より全体の和を重んじるように思えてならないからです。私としては個の調和なくして全体の和などありえないという立場をとりたいので、全体主義的な和とはどうしても相容れないのですね。