怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(45) くたばれ!まちおこしその➄
2016/10/28
まちおこしに関わろうとした理由としてカウンセラーの要素は切り離せません。なぜかというと、当初まちおこしに関われば人と人との関係が切り離せないと考えたからです。であるならば、カウンセラーとしての自分の出番もあるな、と踏んだのです。
しかしいざまちおこしの人間関係を見ていくと「なんか関わるのって、面倒臭いなあ」としか思えなかったんですね。そもそもカウンセリングで、人を変えようとする行為はご法度です。自分が能動的に変わろうとしない限り、カウンセリングは効果的にはならないからです。自分が変わるというのは、実をいうと、とても大変な作業になります。しかし、他人を変えようとする行為よりははるかに意味があり、簡単でもあります。そして、人間であるならば、他人を変えたいか、自分を変えたいかを選択する力がどなたにもあります。もちろん私にもありますし、あなたにもあります。大概の人はなぜか一番大変な他人を変えようとしたがりますけどね。
その他人を変えたがる人にあまり関わりになりたくなくなったというのがカウンセリングから離れたくなった理由の一つでもあります。他人を変えたがる人は他人が自分の思うようにならなくてイライラしていることが多いのですが、本当は他人の刺激に対して自分がイライラという反応を示しているだけなんですね。「自分の反復だったら自分で変えられるでしょう?」という説明もなんかする度にだんだん面倒臭いなあと思うようになって、じゃあもうカウンセリングもやらなくていいか、という流れになっていきました。
そうして、私の気持ちがカウンセリングから離れはじめると、私がまちおこしに関わる意義もまた希薄になっていったのです。
私がまちおこしに求めていたのは自宅から通える範囲で、自分の負担にならないというのが最低条件でしたので、まちおこしの拠点が離れていくと、参加する意義もますます薄くなることもありました。しかし、だからと言ってわたしが学んだまちおこしのノウハウを山口県民が聞いてくれるのか、といったらこれが聞いてくれそうにもないんですね。当初は北九州で学んだことを山口県に持ち帰るという、わたしだけの独りよがりな使命感もありましたが、山口県と北九州のあまりの温度差に「ひょっとして滅びる選択をするのであれば、無理やりまちをおこなさくてもいいんじゃないか?」という気づきにもつながりました。
無理やりまちをおこすのではなく、地元の人間が望まないなら、にぎわいなんかいらないし、民間がシャシャリでなくても、役場が考えるかもしれないし、まあ、どれだけいい話しがありますよ、といっても聞く耳がないんじゃ、どうしようもないですからね。こちらの独り相撲だったという現実に気づいた以上、山口県で何かことを起こすのは最早無理だと思い知らされまさした。
元々必要とされていないのであれば、いくら優れた理論やノウハウも宝の持ち腐れです。北九州には既に私より行動的で北九州愛に溢れたまちおこしのリーダーたちもたくさんいます。であるならば、彼らほど北九州に思いいれもそこまで強くなれない私には、北九州のまちおこしに関わる意義が見出しにくくなっていったのはある種必然ともいえる流れだったのかもしれないですね。