プロレス的発想の転換のすすめ(34) 予測不能な闘いの美学
固定観念を捨てる
今回は「思い込み」についてお話ししたいと思います。ショービジネスの世界には「台本」が存在しますが、同時に「アドリブ」という要素も存在します。これらが絶妙に組み合わさったものこそがショービジネスであり、エンターテインメントの本質です。
では、なぜ台本が存在するのでしょうか。それは、イベントを円滑に進め、制限時間がある場合にその枠内へ収めるために存在します。基本的には、すべては「闘い」ありきで存在しているのが台本である、と考えて間違いないと私は思います。
演者は守られない
イベントやショーを円滑に進めるためには、進行の妨げがあってはなりません。アクシデントさえもショーの一部に取り込んでしまうほどの技量が、演者には求められます。観客は基本的に安全な立場にありますが、演者は必ずしも台本によって身を守られているわけではありません。
震度5とアキレス腱
ひとつ、象徴的な例をご紹介しましょう。2012年、私が関東で観戦したプロレスの大会中、試合中に大きな地震が発生しました。東日本大震災の余震で、後で確認したところ震度5の強さでした。
当然、警報が鳴り響きましたが、さすが地震に慣れている関東の観客は落ち着き払っており、パニックにはなりませんでした。幸いそれ以上の揺れもなかったのですが、実は試合をしていた選手は、関節技であるアキレス腱固めをガッチリと決められた状態だったのです。
伝説のドントムーブ
その時、レフェリーを務めていた小笠原和彦先生が「ドント・ムーブ!」と叫び、選手に「動くな!」と指示を出しました。
通常「ドント・ムーブ」とは、一旦選手を引き離し、状況が落ち着いてから同じ体勢で再開することを指します。
しかし、小笠原先生は地震であろうとなんであろうと、そのままの状態で「動くな!」と指示したのです。
小笠原さんはいい感じに酔っ払っている上に、極真黄金期のレジェンドでもあります。そんな小笠原さんには誰も逆らえません。結局、技を決められていた選手は、長時間技を解いてもらえないダメージがたたり、負けてしまいました。
異常事態を貫く意志
地震というアクシデントがあろうとも、試合を進行させる小笠原先生のレフェリングは、プロレス的な視点で見れば「正しかった」とも言えるでしょう。
そこには「予定調和」など存在しなかったのです。
命懸けのダイブ劇
もう一つ、WWEのレッスルマニア32で衝撃的なシーンとして今なお記憶に新しい、シェーン・マクマホンさんの金網ダイブが挙げられます。
ご存知WWEのオーナー、ビンス・マクマホンさんの実子にして、スマックダウンの責任者でもあるシェーンさんは、本職のプロレスラーではありません。
しかし、彼はアンダーテイカーさんとの金網戦に挑み、地上高6メートルの頂上から机の上に向けて自爆ダイブ(アンダーテイカーさんが避けたため)を敢行。そのまま失神するという事件がありました。
マクマホン家はビンスさんを筆頭に、必要以上に体を張る一族ですが、台本で自分の安全を守ろうとする姿勢は皆無です。
ショーのためなら命懸けの自爆もいとわない姿勢は、お見事というほかありません。
偏見を超える面白さ
WWEは台本があることを公言していますが、台本があるからといって、誰かだけが痛い目を見ずに得をしているシーンにはお目にかかれません。
むしろ、全員が等しく過酷な目に遭っています。「台本があるから、ショーだから、真剣勝負よりつまらない」という論点は、単なる「思い込み」に過ぎません。
台本があろうとなかろうと、それがショーであろうとガチンコであろうと、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない。ただそれだけのことなのです。
真実を見極める目
「プロレスはこうあるべきだ」という思い込みを捨ててリングを見つめれば、そこには台本を超えた人間ドラマと、予期せぬリアルが交差する瞬間があります。
地震の中でも技を解かない頑固さや、立場を捨てて空を舞う覚悟。
これらは決して紙の上の文字だけで説明できるものではありません。
日常においても、私たちは無意識に「こうなるはずだ」という台本を他人に押し付けてはいないでしょうか。
思い込みという色眼鏡を外したとき、プロレスのマットが教えてくれるのは、筋書きを超えて魂がぶつかり合う「闘い」の真実なのです。
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