プロレス的発想の転換のすすめ(130) 死にたい日々の向こうに
幼年期の暗転
私、こう見えて七歳くらいからずっと死にたいと思ってきました。二歳くらいの時から「長男だから」「お兄ちゃんなんだから」と、しっかりすることばかりを求められ、自分のしたいことは制限され、新しく上がった小学校にはなじめず、ずっと図書館にこもっては即身仏になる本ばかり読んでいました。どうせ自分はいらない人間なんだ、という感覚はすでにこのころから生まれていました。
劣勢の学童期
そののち、小学4年生くらいからいじめにあうようになってくると毎日が憂鬱でした。もしあなたがいじめられたとしたら、どうするでしょうか?先生に訴えるでしょうか?それとも親に訴えていくでしょうか?あるいはいじめっ子に直接向かっていくことでしょうか?
生存の宣戦
私はこのどれでもないひとつの決断をしました。それは「生きていじめていたやつらを見返してやる」というものでした。これだけですと結構前向きな動機のような感じがしますが、事実はそうではありません。私という存在が疎ましいなら、私が生きていること自体が彼らにとってのいやがらせになる・・・と当時は本気でそう思っていました。
未決着の因縁
これがストレートに生きる動機になったのなら、まだよかったのですが、この時点では、七歳のころから持ち続けていた死にたい感覚を解決したわけでもありません。まわりに信頼できる人間は誰もいませんでしたから、死にたい感覚も生きようとする動機もひたすら自分の中で念じていたにすぎません。
二重感情の攻防
それでも生き続けてしまった私の中では、死にたいという感覚と、生きて見返してやる(生きたいではない)という感覚というまったく相反する、矛盾したものを抱えたまま成長していくことになってしまいました。しかも、それが私にとっては「当たり前」の感覚になっていました。
自己不在の試合
自分と向き合おうとしなかったばかりに、その矛盾にすら気づかず、息苦しさばかりを抱え込んでいくばかりでした。そして、その原因が何なのかさえ自分自身わからずにいたのです。
偶然のゴング
この死にたい時代に偶然にも私はプロレスを見始めます。と言ってもそれは能動的な動機ではなく、祖母が好んで見ていたせいもあります。当時はプロレスだけでなく、ボクシング、キックボクシングなどが毎週ゴールデンタイムで放送されていた時代でした。
狂虎の衝撃
私は一人のレスラーにくぎ付けになります。それがインドの狂虎・タイガー・ジェット・シンでした。当時の私にとって手段を選ばず猪木さんを襲い続けるシンはヒーローでした。忘れもしない「新宿伊勢丹事件」は、いじめられっ子だった私にとっては「福音」ですらありました。そこから私はところかまわずいじめっ子を急襲していきました。もちろん噛みつき・目つぶし、なんでもありです。当然逆襲にもあるのですが、自分の中に眠っていた何かが目覚めた瞬間でした。
ヒールの余熱
しかし子どもの気持ちは移り気なもので、当初夢中になってみていたものの、いつしかプロレスから離れていきます。

言葉の反則負け
さて、19歳の時には自分でも忘れられない出来事がありました。とあるアニメ月刊誌に私が書いたアニメの感想が載りました。それ自体はとてもいいことだと思われるかもしれません。しかし、その内容は人間否定ととられかねない内容でした。私の文章に対しては、編集部、読者、コーナー担当者も総出で「思い上がりだ」と一斉に非難を浴びせてきました。
想定外の乱入
もちろん私に今でいうところの「炎上」させる意図はなく、単に感想を述べたにすぎません。ですから、この思いもよらぬ反応に私はすっかりビビりあがり、慌てて謝罪文を書いて投稿しました。
長期場外戦
ただ、30数年前はまだネットもなく、月刊誌なので、私の謝罪文が載るまでは数か月を要し、その間ずっと私は「人間否定論者」として活字に責め続けられたのです。この間、駅のホームに立つと本当に線路に吸い込まれそうな感覚になったことをよく思い出します。この出来事がきっかけになって20代になっても人間恐怖症で苦しめられました。
人生の再入場
こんな時分にプロレスと再び再会します。きっかけをくれたのはまたしても祖母でした。ここから現在まで私はプロレスファンのままでいるのですから、今振り返るに節目節目で祖母がかかわってくれたことが、私の人生を大きく左右していたのです。これには感謝しかないですね。
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