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[映画鑑賞記] アバウト・タイム ~愛おしい時間について~

17年4月11日鑑賞。

自分に自信がなく恋人のいないティム(ドーナル・グリーソン)は21歳の誕生日に、父親(ビル・ナイ)から一家の男たちにはタイムトラベル能力があることを告げられる。恋人を得るため張り切ってタイムトラベルを繰り返すティムは、やがて魅力的な女性メアリー(レイチェル・マクアダムス)と恋をする。しかしタイムトラベルによって生じたアクシデントにより、そもそもメアリーと出会っていなかったということになってしまい……。(あらすじはYahoo映画より)

タイムトラベルものとしては、理屈に偏らず、テーマを伝えることを第一に考えて作られている作品。SFファン的には過去改変は未来がよくも悪くも変わってしまう(タイムパラドックス)で、バッドエンドにならないかと、気を揉んでしまうのだが、ひとつの手法としてタイムトラベルをさらっと描いていたのは素晴らしいと感じた。実はバッドエンドになりそうな場面もあるのだが、そこはそれほどフィーチャーされてはいない。私が想像するに、主題から逸れる可能性が高いからだろう。

私は大病を経験してから、過去に戻りたいとは思わなくなった。私の過去をやり直すにはあまりに手間や労力がかかりすぎる。それより今から生きていく人生をよりよくしていく方が楽だし手っ取り早いからだ。そういう意味では、私にとっても今をどうやって生きていくかが一番大事なのだ。

個人的には冒頭の非モテな主人公・ティムに若いころの自分を重ねてみていた。もっとも私は今現在も独身で非モテなんで、物語の途中で素敵な彼女と結ばれるティムの姿は、通常なら「他人事」に見えてくるのだが、今回は不思議とそうはならなかった。ティムとその父親の関係性に目が移っていったからだ。これはかなり羨ましかった。現実的にはなかなかないだろうけど、理想的な人間関係だよな、と私は思う。実際の人間関係は映画ほどドラマティックではない。自分自身に置き換えてもそう思う。だからこそ、フィクションの中でしばし理想に酔う時間も必要なのだ。お父さん役のビル・ナイの演技は実に惹きつけられるものがあった。人生の幕の引き方も実に理想的。正直カッコイイなあと思ってしまった。ただ、観客が理想に酔うためにはいくつかの条件が満たされていなけらればならない。

観終わってふと考えたのだが、邦画のようにキャストのスケジュールありきで、アバウト・タイムが作られていたら私はここまで感情移入してみることが出来なかっただろう。仮に主演がトムクルーズだったら、まず間違いなくここまで物語に入りこむことは出来なかったはずである。仮に邦画でリメイクされたとしよう。主演が木村拓哉ならトムクルーズ以上に不可能だろう。べつにトムクルーズや木村拓哉が悪いわけではなく、適材適所でないと、作品は作品として成り立たないということが私は言いたいのだ。

アバウト・タイムの優れている点は

①伝えたいことが明確である
②タイムトラベルはあくまでテーマのための手段の一つにすぎない
③適材適所に配置されたキャスティングの妙

だと私は考えている。

これがダメになる映画のパターンなら

①伝えたいことが不明確
②原作は金儲けの手段にすぎない
③キャストのスケジュールありきで全てが決められている

ということになると私は思っている。このメカニズムに従って作られている映画は、こちらが楽しみ方を変えてみる必要がある。私の中では、最初からアバウト・タイムのような期待感で鑑賞してはいけないということになっている。

話はだいぶ逸れたが、アバウト・タイムは決してアバウトではなく、オーソドックスに手堅く作られた見本のような映画ではないだろうか。手堅いからこそ、使い古されたタイムトラベルものであっても、惹きつけられる内容になっていたし、腹落ちもした。なにより副題の通り時間をとても「愛おしく」感じられた。押し付けがましくもなく、エンターテイメントとしてもすぐれている。この映画は私にとって間違いなく名画になった。監督のリチャード・カーティスは「アバウト・タイム」を引退作だといっているそうだが、正直信じがたいし、ぜひそういわずに、また素晴らしい新作を作ってもらいたいと思う。





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