プロレス的音楽徒然草 CAR WARS
CAR WARSの衝撃
2018年12月5日、自身の誕生日と同じ日に60歳でこの世を去った「爆弾小僧」ダイナマイト・キッド選手。今回は、相棒デイビーボーイ・スミス選手と共に全日本マットを席巻したタッグチーム「ブリティッシュ・ブルドッグス」の入場テーマ曲、トム・スコットの『CAR WARS』に焦点を当てます。
キッド選手の入場曲といえば新日本時代の『Magic』が有名ですが、『CAR WARS』はまさに二人の「闘い」を象徴する楽曲なのです。
全日本電撃移籍
初代タイガーマスク選手の好敵手として新日本で輝いたキッド選手は、タイガー選手不在後もザ・コブラ選手らと激闘を繰り広げました。
1983年、のちに相棒となるスミス選手が「ザ・バンビート」の覆面を被り新日本へ初来日。試合中に自らマスクを剥ぎ捨て正体を明かした瞬間が、伝説の始まりでした。
しかし1984年11月、ミスターヒト選手の尽力もあり、二人は全日本へ電撃移籍を果たすことになります。
契約の裏側語る
当時、日本のマット界における選択肢は新日本か全日本のみ。生前、ミスターヒトさんから伺った話では、移籍の背景には複雑な契約上の揉め事があったそうです。
ヒトさんは猪木さん同様、馬場さんに対しても懐疑的であり、この移籍が円満な合意に基づいたものではなかったと推察されます。当時の馬場さんは小型レスラーを過小評価しており、受け入れには消極的でした。
価値観を変えた激闘
しかし、1989年のマレンコ・ブラザーズ戦が全てを変えました。その驚異的な「闘い」はファンだけでなく、解説席の馬場さんをも唸らせました。
これを機に、二人はジュニアの枠を超え、ハンセンやブロディといった巨漢レスラーにも一歩も引かないメインストリームの闘いを繰り広げ、馬場さんの選手評価を一変させたのです。
突然の引退発表
全日本を離れWWF(現・WWE)で世界規模の活躍を見せた彼らですが、私の記憶に強く刻まれているのは1991年、世界最強タッグ決定リーグ戦の武道館大会です。
北九州国際会議場でクローズドサーキット観戦をしていた私は、キッド選手の突然の引退発表に会場がどよめいた光景を今も忘れません。
負の遺産の代償
引退後も数年リングに上がったキッド選手ですが、ヘビー級転向という「闘い」がもたらした代償は大きく、初代タイガー戦で見せた華麗な技の数々は、残念ながら過去のものとなっていました。
身体を蝕む負の遺産はあまりにも過酷でした。
ストイックな生き様
『CAR WARS』は、全日本のアジアタッグ王座のテーマ曲でも知られる名盤『ストリートビート』に収録されています。
近年、デイビーボーイ・スミス・ジュニア選手がこの曲を使用したことで、楽曲本来のキッド選手のイメージが薄れつつあるのは一抹の寂しさを感じます。
天国での和解へ
ブルドッグス解散時、二人は確執を抱えたままスミス選手が39歳で急逝。キッド選手もファンサービスなど皆無、むしろファンを邪険にするエピソードが尽きないタイプでした。
しかし、それでも彼が愛されたのは、リングで見せる真摯でストイックな生き様そのものだったからに他なりません。今は天国でスミスさんと和解し、安らかに眠っていることを切に願います。「爆弾小僧」ダイナマイト・キッド選手の魂に、心からの敬意と追悼を捧げます。
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