プロレス的発想の転換のすすめ(135)老後という終わらない戦い
社会との断絶
今回は、早期リタイアとプロレスのお話をします。
私の父は50代で退職した早期リタイア組でした。母も定年を迎えた時点で仕事を辞めたため、早くに社会から断絶し、家に引きこもるようになりました。
早期引退の落とし穴
しかも、年金は早くからもらえており、二人とも再就職せずに長い老後の人生をスタートさせました。しかし、一旦社会からフェードアウトしてしまうと、それまでの身体的負担が身体にでてくるようになりました。
まず父が脳梗塞で倒れ、次に立ち仕事をしていた母が膝に人工関節をいれる手術をおこないました。そして、今度は父が心臓のカテーテル手術をうけ、二人とも身体障害者になってしまいます。
満身創痍のタッグ
この時点で私は依然として自分のうつ病と闘い、両親の状況に気づけませんでした。
やがて、両親とも要支援となり、歩行型リハビリが可能になったため、送迎付きのリハビリ施設に通うようになってきたのですが、ほどなくして二人とも「思ったのと違う」と言いだして、リハビリに通うのをやめてしまいました。
本人たちの言い分では、一人一人にちゃんとした指導員がついてメニューを考えるようなサービスを期待していたらしいのです。
今にして思えば、この時点で二人が真面目にリハビリに取り組んでいたら、後々起こる悲惨な介護も多少緩和されたはずなのですが、過去と他人はかえられません。
忍び寄る心の異変
リハビリをやめてからの両親は、加速度的に認知症状を悪化させていきました。父は怒りっぽくなった事以外は、以前とはあまり変わらないように見えました。
しかし、もともと新しいもの好きな父が、町内で開かれたパソコン講座も途中でやめ、町内会の集まりにもだんだん顔を出さなくなりました。
唯一の趣味といっていい俳句も、いつの頃からかやらなくなってきたため、人と接する機会が激減していきました。
母は母で、80歳過ぎても父の食事を用意していたのですが、いつの頃からか味付けが極端に辛くなっていたのです。
場外逃避の日々
こんな食生活に刺激のない毎日、そして勉強と言いつつ一向に働く気配がない息子に対しては、日に日に風当たりが強くなり、私は包括支援センターに泣きつくことになったのです。
結局、相談員さんと話をして「介護が本格化するまで別居する」ことになり、私は大学生以来の一人暮らしを始めることにしました。
この時点で私は北九州を拠点に自力で独立開業を目指し、市内ではなく北九州に居を構えました。
正直、この時分には大学時代の快適だった一人暮らしの場面が毎夜のように夢に出てきており、その夢にまでみた一人暮らしを手に入れたことで私はまたしても問題から向き合わずに逃げてしまっていたのです。
強制帰還と現実
北九州に引っ越してからは週に一回、実家に帰って数日様子をみて、また北九州に帰るという生活をしていました。
離れて見た感じ、両親はそれほど変化もなく穏やかに暮らしていたのですが、異変はほどなく訪れます。
やっと自分の体調が落ち着けると思って北九州に戻ると、今度はコロナ禍がスタートしてしまい、県をまたいでの移動は制限されました。
やがて、ケアマネジャーと下関市の社会福祉協議会から「このまま北九州にいてもらっては困る」ということで、強制的に下関に戻ることになりました。
すでにコロナ禍によって独立開業の話は消し飛んでいましたし、このあたりが潮時だったのでしょう。
しかし、今更実家には戻りたくない私はわがままをいって、同じ下関市内に別宅を借りて、ひとり暮らしは継続することになりました。
不意打ちのダウン
ところが、引っ越してきて3か月後、今度は父が脳出血で倒れてしまいます。
たまたま前日に、私は実家に戻っており元気そうな顔をみていたのですが、その翌朝父が起き上がれずに救急車で運ばれることになったのです。
病院で診断の結果、脳出血で半身不随という事実を突きつけられた私は「もうダメだ」という覚悟を持ちました。
そこから1年前とは逆に、今度は実家の母の面倒をみつつ、病院の父の世話もすると言うダブルワークにより、私はまたほぼ自室には戻れない生活が始まったのです。
母の入院は一ヶ月ほどでしたが、父の入院は長期に及びました。
加えてコロナも収束せず、面会は一切できないまま時間が過ぎていきました。
受けの美学の重要性
父がいなくなり、食事を作る必要がなくなった母はこの頃から家事を全くしなくなり、ソファーに寝転がってテレビだけ見るという生活になっていきました。
これでは、話にならないのでケアマネさんと相談し、父にあてがわれていたデイサービスへ行く回数を母に全て振り当てることになりました。
ここで大切になるのが、プロレスにおける「受けの美学」という心の持ちようです。
プロレスラーは相手の技をあえて真っ向から受け、耐え忍ぶことで観客の心を打ちます。
介護も同様に、理不尽な暴言や衰えという攻撃を真っ向から否定せず、一度「受ける」覚悟が必要です。
正面からぶつかり合えば共倒れになりますが、相手の力を逃がしながら耐え抜く強かさこそが、介護という長期戦を生き抜く術なのです。
認知症との闘い
しかし、現実は過酷です。認知症との闘いは、人間心理の根底を揺さぶります。
プロレス界でも、かつての英雄が引退後に孤独や病に蝕まれた悲しい出来事も起きてきました。
かつての輝きを知る者にとって、変わり果てた姿を見るのは、リング上でのどんな凄惨な光景よりも辛いものです。
今にして思うと、デイサービスを増やせば解決する、距離を取れば持ち直す、そう信じて打った手は、ことごとく時間稼ぎに過ぎなかったのです。
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