[アニメソング] アニメ的音楽徒然草 汚れつまった悲しみに…
軍国主義的描写
今回はアニメ「魁‼︎男塾」のオープニングテーマ、一世風靡セピアの「汚れつまった悲しみに…」をご紹介します。アニメ版「魁!男塾」は、あの「北斗の拳」の後番組として、北斗のスタッフがほぼスライドする形で作られました。同じ少年ジャンプの人気作のアニメ化ということもあり、期待値は高かったと記憶しています。
原作の「魁‼︎男塾」は、作品の特徴として軍国主義的な描写が多数存在します。最初はギャグ要素が強めにでてきてはいたのですが、作品中盤の天挑五輪大武會(てんちょうごりんだいぶかい)編で登場する藤堂兵衛は、第二次世界大戦中に、男塾塾長・江田島平八と同じ戦火をくぐりながら、土壇場で江田島を裏切った怨敵であるというキャラでした。
藤堂は、江田島平八塾長が男塾設立を決意するにいたる重要な敵キャラとして登場するため、より軍国主義的なカラーが濃厚になっていきます。
バランス感覚と工夫
しかし、アニメ版は原作に比べてかなり表現が緩和されながらも、放送当初から抗議が殺到し、結局34話で打ち切りと相成ります。 アニメ版「魁‼︎男塾」は、大威震八連制覇(だいいしんぱーれんせいは)編の途中で終了したため、天挑五輪大武會は描かれていません。
「魁‼︎男塾」が放送された1988年は、昭和末期であり、平成と決定的に異なるのは、軍国主義的なカラーに対してアレルギーに近い反応を示す視聴者がたくさんいたことでした。中でもPTAの抗議は相当なものだったようで、放送当初から抗議が絶えず、中盤以降は放送取り止めを叫ぶほどに激化したそうです。
私がアニメ版男塾を評価しているのは、こうした苦情を無視せずに、なおかつ原作の「らしさ」を損ねない絶妙なバランス感覚であり、工夫された部分でした。
例えば次回予告で、主人公・剣桃太郎が第28話まで、日々男を磨いている友人の失敗談を話したり、視聴者からの便りを読みそれに桃たちが答えるという形式をとっていました。これなどは軍国主義アニメという批判をかわすための苦肉の策だったのではないか?と私は考えています。
男臭さを打ち出す
魁‼︎男塾の予告編は、「押忍。桃太郎です」という挨拶からスタートし、まれに次回の内容にちょっとだけ触れるが、ほとんど内容とは関係なく、サブタイトルを読み上げ、「そこんとこ……よろしく」でしめるという流れでした。
この予告が視聴者的には結構人気があり、のちに「アメトーーク! 魁!!男塾芸人」(2011年8月11日放送)で紹介され、同様の次回予告を剣桃太郎が担当したほど注目はされていたわけです。
予告で視聴者のお便りを読むDJ風桃太郎というのは、なかなかいいところをついていたと私は思います。
とまあ、このようにアニメ「魁‼︎男塾」は、あまたの批判を回避する工夫をしていたわけですが、回避するだけでは、原作のカラーから乖離してしまいます。そこで私は軍国主義というカラーを別な表現で置き換えたものの一つが、一世風靡セピアの主題歌起用だったのではないか?と考えています。
山口県民だとピンとくるかもしれませんが、おそらく元ネタは、山口県が生んだ詩人・中原中也の「汚れちまった悲しみに」だと思われます。「汚れつまった悲しみに」は、そのワンフレーズを拝借して、中也の詩とは全く異なる男くさい歌詞に仕上げています。作詞はセピアのメンバーが担当しているのですが、一世風靡セピアは、当時でも異端なくらい男臭さを最大限にアピールしていたグループでしたから、こういう内容になるのも致し方ないと言ったところでしょうか。
間違いなかった創意工夫
アニメ「魁‼︎男塾」の打ち切りが影響したわけではないんでしょうが、一世風靡セピアは1984年のデビューから5年後に「卒団」という形で、事実上解散します。
原作の男塾は掲載誌を変えながらも、2018年現在もなお連載中です。オリジナルの週刊少年ジャンプ版の男塾を読めばわかるのですが、江田島塾長が男塾を立ち上げ、数々の闘いや試練を用意していたのは、打倒・藤堂兵衛のためであり、その因縁が第二次世界大戦に遡るというだけのことでしかありません。
いつの世もPTAというのは表層だけに文句を言う厄介な存在だな、と私は思うのですが、それに対してできる限り真摯に向き合ったアニメスタッフは立派だったと私は思います。
時を経てバラエティ番組で再評価されたアニメ版「魁‼︎男塾」は、その創意工夫が決して間違っていなかったという何よりの証明になったのではないでしょうか。
惜しむらくは、後世に続編を作った北斗の拳とは違い、魁‼︎男塾は原作以外は、ことさらムーブメントにはならなかったことで、こういう運命を分けたという意味で、「魁‼︎男塾」というアニメは悲運だったな、と私は思うのです。