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[映画鑑賞記] 劇場版幼女戦記

2019/02/10

統一暦1926年。
ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐率いる、帝国軍第二〇三航空魔導大隊は、
南方大陸にて共和国軍残党を相手取る戦役を征す。

凱旋休暇を期待していた彼らだが、本国で待ち受けていたのは、参謀本部の特命であった。

曰く、『連邦国境付近にて、大規模動員の兆しあり』。
新たな巨人の目覚めを前に、なりふり構わぬ帝国軍は、自ずと戦火を拡大してゆく……

時を同じく、連邦内部に連合王国主導の多国籍義勇軍が足を踏み入れる。

敵の敵は、親愛なる友。
国家理性に導かれ、数奇な運命をたどる彼らの中には、一人の少女がいた。

メアリー・スー准尉。
父を殺した帝国に対する正義を求め、彼女は銃を取る。(あらすじは公式HPより)

小さな嘘はつくな

2017年冬に一大センセーションを巻き起こした作品の劇場版。原作者・カルロ・ゼン氏曰く「大きな嘘はついてもいいけど、小さな嘘はつくな」という作品のセオリーを、アニメ版も踏襲して作られている。

ちなみに、幼女戦記を知らないというあなたのために説明しておくと、「大きな嘘」というのが、現世ではサラリーマンだった人間が、別世界に転生して幼女になる、という部分。そして小さな嘘というのが、フィクションであっても徹底的にリアルな表現をしている政治・軍事・戦争などの物語描写の部分。

つまり小さな嘘をついていない、という事は、あたかもこの空想世界を、さも現実に存在するかのような印象を、観客に抱かせていることに他ならない。要するに小さな嘘を見逃してしまうと、大きな嘘の信ぴょう性まで薄れてしまうのだ。この小さな嘘を見逃さずいかにして「現実」に見せるか、という点で既にテレビシリーズの時から、その圧倒的な世界観は劇場向きだという評価をされていた。

奇しくもテレビシリーズ第一期は、この劇場版では中心となる対立軸であるターニャと、ターニャを父の仇と付け狙うメアリー・スーとの因縁が生まれたところで終わっている。当然、原作の流れもそうなっていて、先に進むとターニャ対メアリーの構図も描かれてはいるのだが、原作通りの展開にしてしまうと、物語の後半になってしまうし、映画の尺としてもかなりの長さになってしまう。

「主役」であるはずが・・・

そこで原作者のカルロ・ゼン氏とアニメスタッフが協議を重ねた結果、本作の時系列にターニャ対メアリーの対立構造を組み込むことに成功している。実はここが映画においては大きな肝になっているといってもいいと私は思っている。

なぜかというと、アニメで描かれた部分は、その多くのドラマがターニャ目線の一方向でしか進行しておらず、ターニャに攻め入られる側の登場人物として、はじめてストーリーが与えられたと思われるのが、メアリーとその父の物語だからである。

加えて、ターニャは正攻法な物語ならまず間違いなく「悪役」であり、自身の信じる「正義」と「かたき討ち」を混同しているメアリーは「主役」であるはずなのだ。しかし幼女戦記ではその立場が逆転している。主人公はあくまでターニャであり、どれほど正義があろうともメアリーは主役ではないのだ。ここは幼女戦記を語る上で外せないポイントだろう。

もし「幼女戦記」をメアリーサイドから描きなおすと、父を殺された娘の仇討物語という非常に正攻法なお話になってしまうだろう。まま、よくある話というレベルになってしまうだろう。

そもそもターニャに生まれ変わる前の「彼」の仕事は、サラリーマンであり、同時にリストラをする側だった。結局リストラされた側に「殺される」形で幼女に「転生」する(テレビシリーズ第一話冒頭)のだが、生まれ変わっても人間の根本的な部分は一切変わっていないため、ターニャには自分が仇であるという認識すらない。

悪役ならば、自身がしでかした非道を律義に覚えているのだが、ターニャにはそれが潔いくらいにない。戦争は嫌だし、殺し合いもできれば避けたい、という彼女の願望は、裏返すと「楽したい」という欲求に素直に従っているだけなので、正義感とかそんなものはかけらも持ち合わせていない。頭はキレるが、潔いクズっぷりなのだ。

だからこそ、メアリーが目の前に出てきてもターニャには何の感情もない。それが余計に許せないメアリーは散々ターニャを追いかけまわして、ようやくターニャに「仇」であることを認識はさせるのだが・・・・これ以上は語るのをやめておこう。

どうしてこうなった!

そんなターニャでもままならないことが多々あって、結果的に最前線に送り出され、決めゼリフにもなっている「どうしてこうなった!」を、テレビ同様劇場でも連呼するのだが、この「どうしてこうなった!」を、劇場版では色んなキャラクターが、各々のままならぬ場面で使っているので、その置かれた立場の違いや、ままならなさを楽しむのも一興だろう。

最後に、劇場版幼女戦記の優れているところは、大迫力の画面に耐えうる作画と、9.1サラウンド対応の高音質な音響にある。特に2つあるエンディングのうち、テレビ版でも使用されたターニャ歌唱(CV:悠木碧)による「Los! Los! Los!」はテレビとは全く異なる音響設計になっているので、これだけでも劇場に行く価値はあるだろう、と私は思っている。

ネタバレになるので、あまり細かくは書けないのだが、最初のエンディングが終わっても席を立たないことを、賢明なあなた方には具申しておきたい。やはり映画は最後まで見ないとね、ということを嫌というほどわからせるステキなシーンが待っている・・・とだけいっておこう。

昨年末の映画はどれももやっとした感じで、なかなかしっくりくる作品に出合えなかったが、今年は最初からよいご縁に恵まれた。同日公開のシティーハンターはそれこそすごい人だったので、初日はあきらめたけど、代わりに幼女戦記を選択した私の勘は外れではなかった。

この映画の成功により、再びテレビシリーズでターニャ・デグレチャフ航空魔導師士官と、彼女の第二〇三航空魔導大隊との再会ができる日を心待ちにして過ごしたいと思う。

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