[映画鑑賞記] はいからさんが通る 後編~花の東京大ロマン~
2018/12/03
2018年10月19日鑑賞。
まだ女性が恋も仕事も自由に選べなかった時代。女学生の花村紅緒は、祖父母の代から決められていた許婚、伊集院忍少尉と出会う。当初少尉に反発していた紅緒だったが、やがて2人は許婚という関係を超え、心の底から惹かれあう。しかし、少尉は戦地シベリアで消息不明に。
少尉の生存を諦めきれない紅緒は、シベリア出兵の脱走兵だという馬賊が少尉ではないかと、その正体を確かめに満州の地へ向かう。手がかりを掴めないまま帰国した紅緒の前に、ある人物が現れた。ロシアからの亡命貴族、サーシャ・ミハイロフ侯爵だ。少尉と瓜二つの姿にサーシャが少尉ではないかと疑う紅緒だったが、侯爵の妻、ラリサからある事実を告げられる――。
傷心の紅緒を励まし支えたのは、紅緒が働く出版社の編集長、青江冬星だった。冬星の仕事にかける情熱、彼の優しさに触れ、次第に惹かれていく紅緒。そして冬星は、過去を忘れ新しい道を共に歩もうと紅緒に語りかける。やがて紅緒はひとつの決断を下すが――その時、東京を未曾有の大災害が襲う。逃げ惑う人々、燃え盛る炎の中、紅緒の脳裏によぎるのは、少尉の姿だった。冬星と少尉、2人の狭間で激しく揺れ動く紅緒の心――。(あらすじは公式HPより)
端折ってまとめた後編
見終わった第一印象として個人的には、かなり端折ってまとめたなあという感じがした。原作後半は、いわば怒涛の展開になるわけで、今ではもうありふれた少尉の記憶喪失という設定も70年代では斬新だったのだが、今見るとどうしても陳腐な感じがしてしまうのは仕方ない。
前編が構図や回り込みのカメラアングルなどを得意としている、古橋監督の大仰な演出のおかげで、古さが味になっていたけど、今回が初監督になる城所監督の画面はいたってノーマル。つまり古さを新しさにまでは昇華していないなという印象を私は抱いてしまった。
そもそも当初予定では加瀬充子監督が演出するはずだったのだが、監督の降板によって二転三転して現在の形に落ち着いたので、最後までアニメ化するというためにだけ作られたという点では、決して間違いではないとは思うが、どこかしっくりこないところもあるのが正直なところでもある。
やっぱり古臭くてもいいから、多少おおげさな演出の方が「はいからさんが通る」には似合っていたように思う。一番のハイライトはやはり関東大震災のシーンだと思うのだが、劇場でみている割にはあまり臨場感がなかったのが大変残念。
アニメを完結させた執念
とはいえ、当時の被災者もそう多くご存命名なわけでもないし、3.11のあとにこうした災害のシーンというのは非常にデリケートな部分になってきたので、演出としては悩まれたところではないかと思う。
よかったところということでいうと、特に後編では重要な役どころになる青江編集長や、鬼島らのキャラクターが非常にイキイキと描かれていた点で、大きな運命の波にのまれてコメディ的な場面が少なくなる紅緒の分まで頑張っていたのが、ポイントでここはさすがに外していなかった。
あとは、前編の時点で予想されていた通り、テレビ版「はいからさんが通る」で紅緒役を演じたよこざわけい子さんのナレーション。前編ではテレビ版少尉役の森功至さんが担当していたため、オールドファンは大歓喜だったわけだが、締めによこざわさんを起用してきたらやっぱり点数甘めにつけてしまうのは仕方ないところ。
近年は後進の指導のため、第一線から退かれて久しいよこざわさんだが、ナレーションが流れてきた時点でもう脳内変換で紅緒さんが浮かんできてしまった。それくらいよこざわさんの声は劣化していなかったわけで、第一線から退いたとはいえ、さすがプロだなと思わずにはいられなかった。
もちろん早見さんの紅緒さんも、宮野真守さんの少尉もステキなんだけど、歴史を積み重ねた分の重みはさすがにいかんともしがたい。それを踏まえた上で、新しい紅緒さんと少尉を見守るかのような優しい語り口は非常に印象的だった。
細かいことをあげれば、不満はあるけれど約40年ごしでアニメを完結させた日本アニメーションのスタッフの方々が、執念を傾けた結果としては上々だと私は思っている。