老害オタクの回転!揺りイスブログ・細分化しすぎたオタク界隈の話①
オタクと一口に言っても、実に様々。ジャンルごとにそれぞれの専門家がいるわけです。ところが、こと日本においては、「深く狭く」は歓迎されがちですが、「広く浅く」はあまり好まれない傾向にあります。
もしかすると、オタクは今苦しんでいるのかもしれないと私は思うことがあります。それはなぜか?
①細分化したオタク文化による悩み
②異ジャンルを認められない
③でも自分のことはわかってほしい
①…昔はオタク文化=サブカルチャーでした。しかし細分化し、深化したことでジャンルごとに壁ができていきました。ニワカ、老害など、といった言葉で壁を作る傾向も顕著になってきました。壁ができたことで、コミュニケーション不足が深刻化して対立が生まれたわけですね。
②は自分と同じ価値観を求めすぎるあまりに、自分と異なる趣味人を認められないのではないだろうかと私は想像しています。異ジャンルを面白がるというより、異ジャンルだから排除しようという動きですね。これも対立を生む要因になっています。もっともこれはオタク界隈に限らず、世界的にコミュニティーが縮小傾向にありますから、一概にオタク=異ジャンルを認められない人間というわけではなさそうですね。
そして③が最も重要なんですが、要は誰しも自分を認めてほしいと思っているのではないかということです。異ジャンルは排除して、自分の心地いい村の中でひたすら自分を、認めてほめてほしいという願望が強い傾向は、SNSなんか見てると特に顕著ですよね。どんだけ自分をみてもらいたいんだって話ですよね。ただし、ここには重要な落とし穴があります。
他人に認められる自分に価値があるという条件付けをしてしまうと、他人の基準で自分の価値が変動してしまいます。それはとても苦しいですよね。変動相場制はせいぜい経済の中で済ませておけばいいことであって、自分の価値まで他人に左右されることがないようにしたいもんですね。
とはいえ、長く迫害を受けてきたオタクがそた簡単に今までの慣習をそう簡単に改め直すことは難しいと私は考えます。
2017年春アニメの「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」に、「諦めと覚悟は似ている」という意味のセリフがでてきます。オタクとして生きる覚悟を決めていた私も、実は自分をわかってもらうことを諦め、自分の価値を認めて、価値をあげることを諦め、自己肯定感を高めて行くことすら諦めていたのかもしれないな、と私は観ていて「ギクッ!」とさせられました。
もしかすると、オタクとして生きるという覚悟を決めているあなたも、実は気がつかない内に何かを諦めているのかもしれないですね。