19時女子プロレスについて
解説
19時女子プロレスは、かつて動画共有サービス「USTREAM」に乗せて無料配信で生中継されていた女子プロレス中継番組です。
2010年5月28日、アイスリボンの別ブランドとして設立され、当時アイスリボン所属だったの帯広さやか選手が移籍して代表に就任します。
2010年5月29日、レッスル武闘館で無観客試合によるプレ旗揚げ戦を開催し、6月1日、レッスル武闘館で無観客試合による旗揚げ戦を開催しました。
放送開始当初のレギュラー放送は週3回程度30分であったが9月以降は試合会場の貸し出しの都合などにより原則週1回、金曜のみの配信となり11月以降は1時間に拡大されました。
2013年6月22日、アイスリボンスポルティーバアリーナ大会で終了することが発表されて、その歴史は終止符が打たれました。(概要はWikipediaより)
19時女子の観戦記は
このように時代に先駆けて無観客配信をやっていたため、特別な例を除いて会場にお客さんはいません。
当時画像を見ながらメモを片手に観戦していました。そのときに書き起こして現在まで残っていたのを再掲載しています。
なんとなくおさまりが
2010年頃に19時の観戦記を書いていることは覚えていましたが、こんな莫大な量をデジタル保存して日の光に当てないのも、なんとなくおさまりが悪いとはずっと思ってきました。
一部は別のブログにアップしていたのですが、諸事情で読めなくなってしまい、再録する情熱も失せていました。
時機を逸したまま12年
そんな感じで、なんとなく時期を逸したまま気がつけば12年も時が流れていました。
19時の代表だった帯広さやか選手は、今や我闘雲舞のベテランレスラーになり、見ていた私もステージ2のガン患者になってしまいました。
我闘雲舞との出会い
思えば、阿佐ヶ谷ロフトのさくらえみライブで初めて団体名を知ったのがプロレスリング我闘雲舞でした。
しかし、アイスリボンですら一度しかきていない博多にツアーに来られるような団体的体力があろうはずもなく、なかなか地方に届かない女子プロレスは、都会の異文化でしかありませんでした。
チョコプロの出現
昔みたいに「見たければ見に行く」ことが叶わなくなり、このまま市ヶ谷(我闘雲舞の本拠地・チョコレートプロレスの会場がある場所)とは縁がないままか、と諦めていたところに振って沸いたのが、コロナ禍と、YouTubeの動画配信のみに特化したチョコレートプロレス(チョコプロ)の出現でした。
チョコプロの出現は、都心のファンにとってコロナ禍は会場に入れない分、距離が大きくなり、もともと距離のある地方(および世界の)ファンにとっては、逆に女子プロレスが近くなる現象をもたらしました。
偶然出会えたご縁
とはいえ、さすがに12年前ほど私に体力があろうはずもなく、チョコプロに関しては、見られる時に見られるタイミングで楽しんでいます。
個人的には19時女子プロレスと、チョコプロは、別物と考えていますし、いいも悪いもありません。
両者を生み出したさくらえみさんを追いかけていく中で偶然に出会えたご縁という点では、ひたすら感謝するほかありません。
時間が還元されて
書き溜めたストックのおかげで、毎日更新しているブログは毎日書かずに済むようになりました。
空いた時間はもちろん治療に充てたり、休息に使えたり、さまざまな形で私に還元されています。
それを考えると、12年前に何の目標があるわけでもなく、ひたすら文章を書いていた自分に「よくやった!」と労いたい気持ちで一杯なのです。