私的プロレススーパースター烈伝#84 トニー・セント・クレアー
ヨーロッパの実力派
今回はヒールもベビーフェイスもこなし、ヨーロッパの実力派として知られ、日本とも縁が深いトニーセントクレア選手のご紹介です。
トニー・セント・クレアー選手は1947年3月28日イギリス・ボルトンに生まれた。トニーは兄のロイ・セント・クレアー選手と共に、父からレスリングの英才教育を受けました。
トニーさんは1966年にデビューしています。兄のロイと共に兄弟タッグチーム「ザ・センセーショナル・セインツ」で活動をしていました。イギリスをはじめ、ドイツやオーストリアなどヨーロッパを主戦場に、技巧派のベビーフェイスとして活躍しています。
シングルプレイヤーへ
だが兄のロイさんが引退したことによって1970年代からシングルプレーヤーに転向します。
1977年5月にマンチェスターでジョイント・プロモーションが認定する伝統あるブリティッシュ・ヘビー級王座を獲得。
その後も、ブリティッシュヘビー級王座に何度も戴冠することでトニーはイギリスマット界を牽引するスターとして活躍していきます。
新日本へ
トニーさんの初来日は、1979年1月の新日本プロレスでした。
新日本でその実力が認められたトニーさんはイギリスマットを並行して新日本常連外国人レスラーとして度々来日しています。
トニーさんはやはりイギリス出身の技巧派レスラーの特徴の一つともいえるシュートも強かったと言われています。
立ちはだかる門番
一方、イギリスでは1982年にオールスター・プロモーションズ(オールスター・レスリング)に移籍すると、世界ヘビー級王座を獲得しました。
1980年代後半になるとヨーロッパ最大のプロレス団体CWAを主戦場に変え、CWA世界タッグ王座、CWAインターコンチネンタル・ヘビー級王座、CWA世界ミドル級王座など、数々の栄冠に輝きます。
またアメリカやカナダからやってくる大物レスラー達に立ちはだかる門番として君臨したのがトニーさんでした。
テリー・ファンクとも
CWAではアメリカやカナダの大型選手とも対戦し。1993年12月18日開催の “CWA Euro Catch Festival” では、テリー・ファンク選手とのフォールズ・カウント・エニウェア・マッチが行われました。
1998年12月19日にはブレーメンにてロビー・ブルックサイド選手からCWAインターコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取、同タイトルの最後のチャンピオンとなりました。
IWGPジュニアヘビー級王座決定リーグ戦
1984年12月にCWAにてミドル級王座を獲得したことを機に、新日本プロレスでもジュニアヘビー級戦線に起用され、1985年5月31日の大宮大会ではヒロ斎藤選手のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦し、1986年1月にはIWGPジュニアヘビー級王座決定リーグ戦に参加しているます。
ミッドカードにおいては星野勘太郎戦選手とのシングルマッチが頻繁に組まれ、好勝負を繰り広げました。
ほぼリタイア状態
CWAが2000年に崩壊すると、トニーさんはドイツのインディー団体に参戦し、日本では藤波辰爾が立ち上げた「無我」に参戦すると西村修選手とキャッチ・ルールで対戦し健在ぶりをアピールしました。
しかし2006年に脳梗塞に倒れ、自動車運転ができるまでに快復したものの、現在トニーさんはプロレスラーとしてはほぼリタイア状態になっています。