[プロレス旅日記] 名古屋見聞録①東京観戦編
東京から名古屋に
プロレス旅日記は一通り書いたつもりになっていましたが、一つ書き忘れていたのが、1994年に東京から名古屋に寄った出来事です。
この時は東京でJWPと、NOWを観戦しているはずで、JWPは建て替えられる前の大田区体育館、そしてNOWは初後楽園での観戦でした。
1994年8月8日
今だから話せますが、JWPの時は人生でただ一度だけ、ダフ屋からチケットを購入して入場してしまった思い出があります。
時は1994年8月8日月曜日。
初めて入る大田区
大田区体育館で開催されたJWP「THE BODY HEAT」第2戦。
初めて入る大田区は、言うまでもなくなく新日本プロレスが旗揚げした場所でもあり、1992年1月30日に、小林と齋藤の一騎打ちが組まれ、新日本対誠心会館の抗争がスタートした場所でもあります。
92年1月4日の東京ドーム
92年1月4日の東京ドーム大会では、斉藤彰俊率いる誠心会館勢がリングにあがり、六万人のブーイングを浴びながら、挑戦状を新日本に叩きつける姿を私は観客として目撃しています。
それだけに初大田区体験は非常に感慨深かったのです。
練習生エキシビジョン
また1994年8月11日のNOW(第二次NOW)「RAI-DEN」最終戦=第2戦後楽園ホール大会。
こちらでは、第一試合前に練習生エキシビジョンとして、山川竜司対谷口裕一戦もみております。
はじめてのUWF
この大会では、SWSの頃から繋がりがあった藤原組の選手たち(のちのバトラーツになるメンバー)も大挙出場していました。
結果的に、第一次も第二次もスルーしていた私はNOWの後楽園大会ではじめてUWFルールの試合に触れることになったのでした。
ずっと勘違い
この大会の中で、まだ坊主頭だった田中稔(当時田中みのる名義)選手と、小坪弘良(現・つぼ原人)選手のシングルマッチが行われ、田中稔選手が2分52秒、腕ひしぎでギブアップ勝ちしています。
長いこと稔選手がハイキックでKOしたとずっと勘違いしてましたが、改めて調べてみるとギブアップ勝ちになっていました(笑)
かなり刺激的
とはいえ、私にとってはかなり刺激的な、後楽園ならびにUWFデビューになったわけです。
余談ですが、実家の何処かに当時撮影した写真が眠っているんですが、冬木軍も参戦していたようです。
少し地味に
メインは当時エースだったケンドーナガサキ選手がつとめていましたが、ナガサキさんはどちらかと言うとバイプレイヤーで、団体エースとしては少し地味に感じました。
さて、私は1992年に週刊プロレス投稿常連会プレッシャーに入会しており、関東会員とも交流が生まれていました。
新宿で映画みていた
後楽園ホールでは当日券売り場前が、会員の待ち合わせ場所になっており、NOW観戦後も落ち合っているはずなんですが、そのあたりは記憶が曖昧になっています。
確かプロレスのない時は新宿で映画みていたのは覚えてるんです。
一味違う
見たのは、ロードス島戦記」「スレイヤーズ」「耳をすませば」で、「耳をすませば」は、並んで入場したのを覚えています。
下関だとまず映画で行列作ることがありえないのですが、新宿はさすがに一味違うよなあ、と感心したのを覚えています。
間で青森へ
ちなみに、9日から11日にかけて東京経由で、青森に行っています。青森については、こちらで。
1994年の青森・みちのく一人旅
そしてNOWから一夜明けて、いよいよ名古屋へ大移動することになるわけです。
名古屋へ大移動
若かったとはいえ、下関→東京→青森→東京→名古屋という行程は、かなり無茶してますが、あの時やっておいて本当に良かったと思います。
介護や闘病で自由にならない今だからこそ、そう断言できますね。