回想録とは
プロレス想い出回想録は、私(プロレス“ザ・モンスター”ハラダ@チャンネルせかぷろ・YouTube)が、体験してきた回想録記事です。
回想録とは、Wikipediaによると、
記録あるいは文学作品の一形式で、ある事件、事象や時代に関する自らの経験を記したものです。また口述筆記させたり、他人の聞き書きによる著作もあります。
ものだそうです。
出会いと別れ
私の場合は、自分で記憶したことを、自分で書いた回想スタイルになりました。
長い期間プロレスを見ていると、たくさんの出会いがあり、またたくさんの別れを体験してきました。
記事を振り返ると、どうしても内容的に「別れ」成分が多めになりました。
忘れるということ
もちろんそれには個人差があります。良い想い出ばかり溜まればいいのですが、悲しい想い出がいつまでも心の中から出てこないと、大変しんどいものになります。
そのために人には「忘れる」という能力が備わっていると思います。
もちろんそれには個人差があります。
つらい思い出を抱えたまま
忘れちゃいけないものを忘れたりするのは、正直困りますが、辛い想い出を抱えて生きていくのも、かなり問題になります。
悲しみは、手放すに限ります。ではどうしたらいいか?
私はひたすら「書く」ことにしました。書いた分だけ抱えていた重い荷物を降ろしていくイメージで、一つ一つの悲しみを降ろしていきました。
予想外の悲しみ
書き出してみると、私の中には予想外の「悲しみ」が溜まっておりました。もちろん文章には悲しみ以外の感情も表現されていますが、私にはそう感じられました。
最近、自分が生きるテーマとして取り組みたかった「楽になる」というものがありました。
これは、決して手を抜くて自分の人生を適当に生きようとかいう意味のものではありませんでした。
残された時間を
私も、気がつけば、私も悲しみや怒りに捉われて半世紀以上生きてしまった。やってきたことの全てが正しかったのか、はたまた間違っていたのかは、まだわからないでいます。
とはいえ、過ぎ去りし日々はいくらやり直したくても決して戻ってはきません。
であるならば、残された時間をどう生きていくか?ということがポイントになってきます。
楽になりたい
今まで散々無駄に力を入れて生きてきたからこそ、身体の隅々にいたるまで、無駄に凝り固まった力を抜いて、ふっと楽になりたかった…
とある瞬間、そういう想いが私の中に沸いてきました。そしてその瞬間少し身体の感覚が変わったことに、私は気づくことができました。
自分で解きほぐす
そこに気づけたことで、今まで力を抜いているつもりになっていたことも、意外と肩肘張っていたんだなあ、とも感じました。
「想い出回想録」に限らず、「書く」「表現する」という作業は、私の中に凝り固まっているものを、私自身が解きほぐしている作業なのかもしれませんね。