プロレス的音楽徒然草 wigwam wipe out
ポジティブパンクって?
今回はトニー・ホーム選手のテーマ曲としておなじみの?英国ポジティブパンクを代表するバンドである、エイリアン・セックス・フィーンドの「wigwam wipe out」をご紹介します。この曲を聴くとすぐわかるんですが、ステレオタイプのアメリカインディアンをモチーフにしているんですね。で、エイリアン・セックス・フィーンド自体、日本語の解説が異様にすくなかったので、Google翻訳を駆使して英語の記事から、なんとか拾い上げてこの記事を書いています。
まず表題の「wigwam(ウィグワム)」というのは、アメリカインディアン部族の伝統的なドーム型の住居のことで、「wipe out」というのは「一掃する、全滅させる、殺す、一文なしにする」などという意味があるんだそうです。
物騒なタイトル
要するにこの曲には「インディアンの住処を全滅させてぶっ殺してやる」というなんとも物騒なタイトルがついているのです。正直これのどこが「ポジティブ」なのかよくわからないんですが(苦笑)、そもそもなんでこの曲が、トニー・ホーム選手のテーマ曲になったのか?
いきさつはなんとも定かではありません。
ちょっと気になったので、ポジティブパンクなる音楽ジャンルはなぜ生まれたのか、ということをさらに調べてみました。
「でっち上げた」
どうもハードコアパンクではあまりにも破壊的で暴力的すぎてネガティブすぎるので、もっとポジティブな音楽を持ち上げるために、イギリスの音楽雑誌などがポジティブパンクというムーブメントを「でっち上げた」らしいというのが、ことの真相のようです。
実際、「自分たちはポジティブ・パンクだ」といって活動しているバンドは基本「いない」そうで、道理で聞きなれない言葉だなと思った次第です。
ゴシック・ロックとの違いは?
ちなみにwikipediaでポジティブパンクという言葉を検索してみたら・・・・
1970年代に誕生した、ポストパンクやオルタナティヴ・ロックのサブジャンルの一つである。暗いテーマと、ゴシック・ホラーやロマンチシズム、実存主義哲学やニヒリズムといった知的なものを扱う。標準的な特徴として、「大鎌を振るようなギターの弾き方」や、「メロディの役割を奪うようなピッチの上がったベースライン」、そして「悲しげ(dirgelike)で眠たくなる、あるいは土俗的なアフリカのポリリズムのようなビート」を挙げている。 また、ゴシック・ロックのミュージシャンやバンドの中にはドラムマシンを用いて弱拍を弱くする手法をとる者もいた。
典型的なゴシック・ロックのテーマは暗く、歌詞や音楽の雰囲気にも表れている。 ゴシック・ロックの詩の感性は、ロマン主義、不健全性、実存主義、宗教的な象徴主義、さらには超自然的な神秘主義に基づいている。
とあります。要するに日本ではポジティブ・パンクとゴシック・ロックとは、明確に区別されていなくて、しかも日本のゴシックは着飾ってライブにいくけれど、欧州では汚らしい格好で観に行くなどの違いもあるらしいです。有名どころではデビット・ボウイやセックス・ピストルズといったあたりのミュージシャンが基礎を築いたそうですね。
フェードアウトを繰り返した
さて、こうして意味を調べていくと、「wigwam wipe out」というタイトルの過激さと殺戮マシーン的な意味合いが、トニー・ホーム選手には意外にもフィットしていたことがわかります。最初、この曲を聞いたときは「なんでフィンランド出身のトニー・ホームにインディアンっぽい曲をチョイスしたんだろう?」という疑問がありましたが、全く筋違いということではないようです。この曲を選曲した人はかなりセンスがありますね。
トニー・ホーム選手は、フィンランドではヘビー級ボクサーとしてアマチュア時代は通算48戦全勝(41KO)という戦績を残してもいますから、まさにKO量産戦士だったわけですね。このヘビー級ボクサーという触れ込みで日本には来日してますから、私はトニー・ホーム選手がプロレスラーとして活躍した後年には、やはり違和感を感じていました。
いつしかWWFに移籍
しかし実は新日に上がる前にはザ・ヴァイキングという名ですでにアメリカでプロレスデビューもしていたため、最初からプロレスラーだったことが後にわかると、私は「別なこと」が気になってきました。
というのも、トニー・ホーム選手にプロレスの手ほどきをしたのは、ブラッド・レイガンスでこれは申し分ないのですが、いかんせんプロレスラーとしては、そんなにプロレスがうまいとは思えなかったんですね。
ボクサーとして来日していた当初こそベイダーやソウルテイカー(パパ・シャンゴ)、日本人だと橋本真也らと抗争を繰り広げましたが、92年にスコット・ノートンと組んでIWGPタッグをスタイナー兄弟から奪取したのを頂点に、だんだん新日本では存在が薄くなっていき、いつしかWWFに移籍していきました。
才能に恵まれすぎた・・・
WWFでも一時的に反米ユニット「フォーリン・ファナティックス」の一員として活躍するのですが、レッスルマニア出場直前にけがをしてしまい、結局WWFもフェードアウトしてしまいます。ちなみにWWF時代にはリングスにも来日し、前田日明選手とも闘ってますが、正直全く覚えていません。リングスはWOWOWで全戦みているんですけどね・・・
ホーム選手の「その後」は2003年にフィンランドの議会議員に選出されたことで、久々に名前を聞きました。まあ、知名度から言っても抜群の人材ではあったと思うのですが、この議員職も結局、拳銃発砲騒動や薬物とアルコール依存によってフェードアウトしてしまいます。
人生からもフェードアウト
以降は精神疾患とも戦い続けていたみたいですが、最後は2010年に自ら所持していた拳銃で自殺という形で、自分の人生からもフェードアウトをしてしまいます。
トニー・ホーム選手が90年代で格闘技とプロレスをまたにかけて活躍したというのはまぎれもない事実です。体格にも恵まれていたとは思うのですが、同時に非常に類まれなき才能があったともいえるわけですね。それだけにどの道も長続きしなかったことは残念でなりません。
虐殺ヴァイキングや格闘サイボーグなどという二つ名は当時の周囲がトニー・ホーム選手へ抱いていた期待の表れだったと私は思うのです。
4番手に甘んじたまま
実際、新日にいた時が全盛期だったと思うのですが、当時トップ外国人選手として君臨していたベイダー・ビガロ・ノートンらを出し抜くことなく、4番手に甘んじたままだったのはなんとももったいなかったですね。
才能に恵まれすぎるというのもあまり人間にとってはよくないのかな、などと、「wigwam wipe out」を聞きながらしみじみ思ってみる今日この頃なのです。