老害プヲタ・プロレス“ザ・モンスター”ハラダの発想の転換のすすめ(44) 一匹オオカミと孤独
オオカミは基本群れる
孤独というのは最近特に問題視されており、イギリスのテリーザ・メイ首相は1月18日、「孤独担当大臣」のポストを新設し、トレイシー・クラウチ氏を任命したことを発表した。イギリス社会で「孤独」に困っている人のための総合的な政策を率いるといいます。
(参考:ハフポスト日本版 「孤独担当大臣」とは? 新設されたイギリス、「孤独」の国家損失は年間4.9兆円)
また最新版・世界各国の「繁栄指数」を見てみると、社会や地域における人々の信頼関係や結びつきを表す「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」のランキングで、日本は全世界149カ国中、101位。先進国の中では最低だといいます。なかでも深刻な状態にあるのが中高年の男性だといわれています。
(参考:なぜ日本のおじさんは「世界一孤独」なのか?)
さて、プロレスでは特に顕著ですが、「一匹狼」という「売り文句」がよくつかわれます。しかし、現実はどうかというと、「一匹」だと非常に困るんですね。そもそもオオカミというのは・・・
オオカミは雌雄のペアを中心とした平均4 – 8頭ほどの社会的な群れ(パック)を形成する。群れはそれぞれ縄張りをもち、広さは食物量に影響され100 – 1000平方キロメートルに及ぶ。縄張りの外から来た他のオオカミはたいてい追い払われる。稀に、仲間とうまくコミュニケーションがとれなかったり、群れのリーダーを決める争いに敗れ群れから孤立し単独で活動しているオオカミもおり、これが「一匹狼」の語源にもなっている。(wikipediaより)
という習性をもっており、基本は群れる生き物なんですね。本来「一匹オオカミ」とは、ある意味コミュ障とかリーダー争いに負けたとか、あまりポジティブなイメージはないと私は思います。プロレスでも狼という名を冠した選手は大概単独行動をしていません。
狼群団と狼軍団
古くは1978年ごろにフリーランスの選手を集めた「狼軍団」(メンバーには、ヒロ・マツダ、上田馬之助、サンダー杉山、マサ斎藤らがいました)というチームが存在してました。しかし、やはり知名度の点ではnWoジャパンの母体になった狼群団(エゴイスト集団)がダントツでしょう、面白いことに、当初のメンバーである蝶野・天山・ヒロ斉藤はたまたま当時本当に「一匹オオカミ」として活動してました。
蝶野はそれまでの白から「黒」に転向したばかりで、パートナーがおらず、臨時でスーパーストロングマシンとタッグを組んでいましたが、けんか別れして一匹オオカミになっていました。
また、天山は海外遠征から帰国した直後、本隊に反旗を翻していたため、やはりパートナーがいませんでした。そしてヒロ斉藤も、所属していたレイジング・スタッフが解散したことにより、単独行動を余儀なくされていました。
ある意味、利害の一致を見たこの3人が集まることは必然であったともいえます。もともと群れる習性がある狼が新たな群れをつくって、90年代の新日本を席巻し始めたのです。ただし、初期の段階では試合に敗北した際、実際にピンフォールあるいはギブアップを奪われたレスラーを、残りの2名が試合後のリング上で集団暴行する「反省会」と呼ばれる行為が行われていた時期がありました。
だんだんとチームに・・・
とはいっても、一匹オオカミのままだと、シングルマッチしか組めないし、仮に誰かと組ませても空中分解してしまうことになるので、マッチメイクする側からすると扱いにくい選手になってしまうわけです。そこで形だけでもチームを作る必要があったのではないかと思われます。自分がしたい時したい形でかかわる
しかし、狼群団はチームといいつつ、いつ共闘関係が壊れてもおかしくない状態であったわけです。私が思うに狼群団のままではいずれ空中分解していたでしょう。そこでnWo旋風というムーブメントにうまく乗っかった形で、狼群団はnWoジャパンという具体的なチームになっていきます。
のちに若手時代「スペースローンウルフ」の2つ名で活躍していた武藤敬司もnWoジャパンに加入し、一時期は新日本本隊の影が薄くなるほどの勢いを見せました。あまりにメンバーが増殖しすぎたせいか?nWoジャパンから分裂する形で、蝶野一派はチーム2000(ツーサウザンド)を結成しますが、このあたりは、悪のユニットが複数存在する現在の新日本プロレスにも脈々と受け継がれている伝統になっていますね。
したい時にしたい形で
元ネタの狼にしても群れをつくって活動するのが基本ではあるので、一匹オオカミというのは、異端でもあり、コミュニケーションをとれないという点では、プロレス的に価値がないと思われるのですが「群れない・媚びない」イメージを使いつつ、うまくチームに昇格させた狼群団というのは、「一匹オオカミ」のイメージを上手に使って成功した事例のひとつとしてあげられるのではないかと、私は思うのです。
余談ながら、私個人は群れたいときは群れますし、そうでないときは孤独を楽しんでいます。一人でいたい時も、集団の中にいたいときも両方自分が求めていることには間違いないので、どっちもバランスよく過ごせることが肝心なんで、正直孤独を悪いとも思いませんし、群れることに嫌悪感があるわけでもありません。自分がしたいときにしたい形でかかわるのが一番なんじゃないでしょうかね。